2010年4月11日 日曜日


5:00ころにトイレに行ってまた寝る。 
8:00起床 昨日の晩12時前まで起きていたので今朝はこんなものだろう。

洗濯物を乾す。


10:00から読書。「斉藤隆夫政治論集」の続きである。

時に、兵庫県出石郡出石町に斉藤隆夫記念館・静思堂というのがあるらしい。体調を相談しつつ一度行ってみよう。
http://kawamikk.co.jp/myalbum+photo.lid+;17.htm


斉藤隆夫についてウィキペディアに次のような紹介がある。

1935年(昭和10年)1月22日、「岡田内閣の施政方針演説に対する質問演説」で「陸軍パンフレット」と軍事費偏重を批判。

1936年(昭和11年)5月7日(第69特別帝国議会)、「粛軍演説」(「粛軍に関する質問演説」)を行った。

国家総動員法制定前の1938年(昭和13年)2月24日(第73帝国議会)、「国家総動員法案に関する質問演説」を行った。

1940年(昭和15年)2月2日(第75帝国議会)、「反軍演説」(「支那事変処理中心とした質問演説」)を行った。

反軍演説が軍部とこれと連携する議会、政友会革新派(中島派)や社会大衆党、時局同志会など親軍部である党派の反発を招き3月7日に議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員を除名されてしまった。

しかし1942年(昭和17年 4月)総選挙では軍部を始めとする権力からの選挙妨害をはねのけ、(最初にして最後の)翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし衆議院議員に返り咲く。


次の「十七」は、上記の最後の部分の昭和17年(7月)に書かれた文章である。衆議院議員に返り咲いた斉藤隆夫の舌鋒はいよいよ鋭い。


十七 立憲政治を汚涜(オドク)せる候補者推薦制(昭和17年7月)

私や私の妻がが生まれた年、昭和17年に国会の総選挙が行われた。衆議院議員は四年任期であり昭和16年には選挙が行われるべきであったのに、このたびは五年目の昭和17年、つまり私が生まれた年に選挙が行われたのである。斉藤隆夫は昭和16年11月にこの年に選挙をやるべきなのになしをしているか、と政府に意見書を出し、12月には「総選挙断行すべし」とする「意見書約一千部を印刷して衆議院議員、政府要路者その他有力なる言論機関に郵送した」そうである。

超えて17年1月4日政府は愈々総選挙を断行する旨を発表した。斉藤隆夫は無所属で立候補し兵庫五区から最高点で議員に帰り咲いた。

斉藤は七点に渡ってこの選挙を振り返り、この選挙が不法不当、選挙制度ひいては立憲政治を根本より破壊した罪悪であると論ずる。

第一 今回の選挙は議会勢力を削減し、政府の独断専制を行おうとするものである。帰する所は議会において正義硬論を唱えるものを排除しようとするにある。

第二 政府と協議会は一心同体になって候補者を推薦し、其の推薦候補者を当選させるためにあらゆる手段を使ってこれを援助し、一方非推薦候補者を極力弾圧して選挙人の心理状態を推薦候補者に向けしめることによって多数の当選者を獲得したが、公選の中には必ず選挙意思の自由が含まれていなければならない。

第三 政府は翼賛議会を作るために翼賛選挙を行うといってきたが、わが国の議会は、憲法発布日の御告文にあるように、また憲法前文にあるように当初より、当初からすでに「臣民の翼賛に依りともに国家の進運を扶持する」翼賛議会である。この道を外れる議会こそ非翼賛議会である。 

第四 今回の選挙に当たり政府は多数の新人を選出せねばならぬといってきたが、議員に新人も旧人も在ったものではない。議員は議員である。しかも推薦候補者中の新人当選者はわずかに169名であり議員定数466名の三分の一にも足らない。政府の予想は全く外れている。

第五 東条首相は翼賛会は政治結社ではないから選挙には一切関係せしめないなどといっておきながら、実際には翼賛会、翼賛壮年団が推薦候補応援にいかに積極的な行動を取ったか。多数の選挙区においては非酢戦候補者は選挙事務長、委員、労働者を使用することが出来ず、まったく孤立無援の状態に陥り、さらに官憲の干渉はなはだしく、所によっては警察部長以下警察官が表面、裏面、直接、間接に極めて悪辣な圧迫を加えた。

第六 翼賛政治体制協議会なるものの組織と行動と其の責任を論ぜなければならない。この体制で戦えば466名の推薦候補を一人残らず当選すべきはずであるにも拘らず85名の落選者を見るに至った。翼賛会はよくよく無能な候補者を推薦したといわざるをえない。

第七 かかる余計な騒ぎをなし、求めて国民の間に相克摩擦を激成し、感情の陳腐を引き起こし、其の陰影はなかなか容易に拭い去ることは出来ない。

わが国に選挙制度が行われて以来、いまだかつて今回の如く全国に渡って不法不当なる選挙が行われたことはない。しかし、これを我がことなれりと手を打って喜んでいるものもいる。わが国の議会をドイツのナチス議会化し、以て立憲政治の外形を残してこれを事実的に滅亡背紙面としているのである。

かくのごとくして国民の意思は議会に代表せられず、議会の威信と独立は消えうせてナチス議会の実感がそのまま我が国の議会に現れるのは避けがたい情勢である。


十八 天上より見たる世界戦争

十九 支那事変より大東亜戦争に対する直筆

この二つは明日まとめてみよう。


16:00~17:00 昼寝 お風呂の掃除をして孫たちを迎える。そのあと洗濯物を入れる。

20:00~22:40 夕食のあと、二階に上がってこの日記を書く。斉藤隆夫さんの大論文が多くてまとめるのがなかなか大変である。半分(十八、十九)は明日に回すことにした。