2010年4月10日 土曜日

7;00 起床


10:00~12:20
「斉藤隆夫政治論集」を読む。

十 自由主義に対する妄評(昭和16年4月)

「自由主義とは国民に向かって自由を許す主義なり、というて少しも差し支えはない。」
ただし、「其の国家の生存発達を図るが為にある程度まで国民の自由を制限するの必要があることは言を俟たない。」
では、「いかなる程度において国民の自由を制限することが国家のために必要か・・・それは国家を率いる政治家が内外の情勢に適応して決定すべきものである」。
「而して、議会は国民の選挙する議員によって構成されているから、帰するところは国民の自由意志が現れて法律となり其の法律によりて国民が支配されることとなる。」
「随って立憲政治は自由主義の政治であるとともに、立憲治下の国民は自由主義の国民である。」
「自由主義は戦争には一切反対するものの如く猛進しているもののあるが、自由主義者で在ると否とを問わず、何人と雖も国家の為に不必要な戦争には反対するが、必要なる戦争には反対するわけはない。」

「立憲政治の下において自由主義が善いとか悪いとか、斯かる議論が起こるのは不思議であるが、それは畢竟するにナチズムやファシズムをありがたがる連中の仕業である。」
「わが国にはわが国の政治がある。わが国の政治は万世一系の、天皇を中心とする立憲君主政治であることを忘れてはならぬ。」
「もし夫れ国民の自由を不当に拘束し、官僚専制を行うことを愛国者のごとく心得、これに反対するものを目して自由主義者なりとして排斥戦とするがごときものに到りては、まじめに告示を談ずる相手にはならなぬ。}
「自由主義に反対する主義は非自由であり、非自由主義は即ち奴隷主義である。」

十一 非常時に処する議会政治の得失(昭和16年5月)

議会政治は「遅緩に流れてその運用敏活を欠く虞れがあるから、国家闘争の激烈なる時代・・・に当たりては捉ふべき機会を逸することあるべきのみならず、国難に処すべき大胆なる政策を断行するあたわざる場合が起きるのである。」
「フランスは戦争の初め脆くも一敗地にまみれてまた起つあたわざるの窮地に陥っているが、その原因の一つとして議会政治の短所を挙げなければならない。・・・仏国は小党分立して政界の巨頭などは互いに嫉妬反目して政権争奪に熱中し、世論を指導するよりも却って世論に迎合すべく習慣付けられている意のままに議会を操縦することができない。」
英国はフランスと違って「小党分立ではない。・・・常時と非常時とを問わず、国家目的のなめに議会政治を運用するに当たり、緩急その度を誤らざることは確かに英国国民の政治的得失であって、今回の戦争に当たりてもほとんど独裁者に近き昨日を政府に付与する件をわずか数分間に議決したる如きは全くその現れである。」
米国は英仏との議会政治とは趣をことにしている。米国は英仏に比してさらに一層国民の輿論が政府の政策を左右する力を有するから、政府は重要政策を議会に付すとともに不堪輿論を指導し其の動向については最大の注意を払わねばならぬ。此に政治の遅鈍性があらわるるのである。」 以下略すが、最後は「唯一時的の戦争または急速なる国政挽回を要する時代に当たりては、これ(議会)と反対なる政治組織のあらわるることもあれども、それは決して永遠の政治体制ではないから、政治に志すものはすねに之を忘れてはならぬ。」としている。

十二 蒋介石と汪兆銘(昭和16年7月)

「さようなる事は起きるわけはないが、仮に日本が支那と戦って敗北し、日本領土の一部である四国、九州を取られ、其の上巨額の償金を払わされたばあいには我々日本人としていかなる感じが起こるであろうか。それこそ臥薪嘗胆などの騒ぎではあい。食わず飲まず、石に齧り付いても復讐せずんば已まないに相違ない。これが愛国心であり日本精神であるが、日本人に愛国心があり支那人には愛国心がないとはいえない。

十三 戦争の哲理(昭和16年9月)

「生存競争、優勝劣敗、適者生存が自然界における奪うべからざる天則である以上は、強者が弱者を征服して自ら其の大をなし、強を誇る自然の法則に追随する必然の結果であって、もし仮にこの間に罪悪があるならば、其の主体は征服者にあらずしてむしろ被征服者にありと言わねばならぬ。ことに怪しむべきは、前に持たざる国として持てる国を非難攻撃したるものが今日は全く前言を忘れ、より以上にもてる国の轍を踏みて四隣の弱小国を片端から征服して領土の拡張を図りこれを以て新秩序の建設などと嘯(うそぶ)くものがある。斯くの如きしだいであるから、国家間における正邪曲直の論争のごときは何れを見てもとるに足るべきものはなく、真理はかかる論争の仲にあらずして、全く他に存在することを悟らねばならぬ。」

十四 虚偽と迷信の世界(昭和16年9月)

 省略

十五 日本はどうなるか(昭和16年10月)

 省略

十六 近衛文麿公を論ず(昭和16年10月)

「第一次近衛内閣より第三次近衛内閣の総辞職に至るまで、議会に対して公の遺した事蹟として国民の承服に値するものは一として見出すことはできない。其の中最も大なるものは言うまでもなく支那事変である。事変の当初に当たりて近衛内閣が声明したる現地解決、事件不拡大、この方針が強行せられたらば事変は今日の如く国を賭する大事件とはならなかった・・・。」
「次に大政翼賛会である。浅はかなる革新論から出発して、理論も実際も全くなく辻褄の合わざる翼賛会を設立し、軍事多端なるこの時代に多額の国費を投じて無数の浪人を収容し、国家の実際には何等の実益なき空宣伝をなして国民を瞞着して回るのは今日の翼賛会であるが、之を設立したる発起人は疑いもなく近衛公である。」



午後、妻は外出。私は散歩。自衛隊の丘をぐるっと回っていつもの池を通りかえったのだが結構歩いた。2時から3時40分まで1時間40分の行程であった。


20時~22時40分 今日の日記書き。


今日の食事
朝食 ごはんと豆ごはん たけのこ たまごやき 小松菜と厚揚げ
昼食 ごはん トマトとレタス キムチ炒め(鶏肉、タマネギ)
夕食 パン トマトとレタス スパゲティスープ(ベーコン、エリンギ、ブロッコリー、タマネギ)