2010年3月16日 火曜日


.8:00までぐっすり寝た。


10:00
 「ニッポン・コリア読本 教科書に書かれなかった歴史の真実と日韓・日朝関係発展の課題」
 教職研修総合特集国際理解シリーズ 1 教育開発研究所 平成3年初版

 プロローグ 日本・朝鮮関係の発展と日本人の歴史認識
 にはいる。
○足利幕府から日本国王使の訪朝、60余回 朝鮮からは五回の通信使来日。
○江戸時代は朝鮮通信使が12回来日。「儒教を中心とする伝統文化においては、朝鮮は先進文化のくいであり、日本の学者、専門家は朝鮮の学者等に教えを求める態度でせっした」。
○明治に入り、明治新政府は欧米列強とおなじく朝鮮に対しても新政府との間に外交関係を開くことを求めたが、朝鮮側は日本の国書の文書やスタイルが幕府時代と違うことをあげて釜山で受け取りを拒否。→征韓論→明治6年に征韓論ピークに→明治8年江華島事件→明治9(1876)年日本使節団が軍艦六隻とともに派遣され江華島に上陸して交渉→同年2月26日修好条規締結→深刻の宗主権否定。釜山・仁川・元山開港。開港場における日本人の営業活動保障。日本側の領事裁判権=「西洋諸国に対して条約改正を要求している日本政府は隣邦の朝鮮に対しては優位の地位を認めさせた。
○1890(明治23)年山県有明が「外交攻略論」。=主権線と利益線とを守るべきだ。「我邦利益線の焦点は実に朝鮮に在り」。
○東学党の決起に対して、清国続いて日本が朝鮮へ出兵。日清戦争の勃発と日本の勝利(1894~1895)。→4月17日下関条約。清国は朝鮮を独立国と認めた。→7月6日閔妃ロシア軍の力を借りてクーデタに成功→9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任→10月8日、日本の閔妃殺害→1896年2月 ロシア軍王宮突入 高宗、世子ロシア露国公使館へ(露館播遷)
○1902(明治35)年の日英同盟以降ロシアと日本の主張相容れなくなり1904(明治37)年日露戦争へ。日本勝利して1905(明治38)年11月韓国保護条約締結。つづいて1910(明治43)年8月韓国併合条約締結。

○1923年(大正12年)9月1日関東大震災での朝鮮人虐殺事件

関東大震災のとき約300人の朝鮮人、中国人を暴徒から守った大川警察署長の孫、豊さん(54)宅に漢字とハングルで書かれた感謝状が残っていた

朝鮮人中国人を守った鶴見警察署長大川常吉さんのこと


午後2時から、散歩。家から旧1号線を東へのぼり北へ一回りして帰った。1時間10分。
そのあとテレビで相撲をみる。初日から二連敗していた隠岐の海が初白星。ヨク頑張ったなあ。
午後5時から、妻の訳した李元淳先生の論文の手入れ。おおむねよく出来ているが、一部(注)に回したりしてよりよみやすくなるように努力中。


<今日の食事>
朝 おにぎり アサリとアスパラのバター炒め 焼きそば残り
昼 ごはん スライスたまねぎ オムレツ
晩 ごはん なっとう 野菜スープ