2010年3月15日 月曜日


.8:00までぐっすり寝た。


10:00から12:40まで『1895年12月及び1896年1月の朝鮮旅行』 (参謀本部 アリフタン中佐)を読んだ。これで東洋文庫「朝鮮旅行記」終わり。

・朝鮮の川・・・主要なる川
鴨緑江=地元の平底ジャンク(*「中国における船舶の様式の1つ。古くから用いられきた木造帆船だが、物資・貨客の輸送業務においては、19世紀以降蒸気船が普及したことにより衰退した。」)が海から69マイルまで航行可能である。鴨緑江は3,4ヶ月間結氷する。最近の戦争(*日清戦争を指す)では河畔の義州の町付近で戦闘が行われた。
大同江=喫水があまり大きくない船なら加工から120キロメートルに限り航行が可能である。先の戦争では日本軍と清国軍の間の戦闘が平壌の町外れの河畔で行われた。
漢江=その河畔に王国の首都を擁しており、130キロメートルまでは喫水の浅い船が航行可能であるが、急流と夥しい浅瀬のゆえに航行は困難を極める。川はその入り口に江華島を形成する。日清戦争中、国王一家はこの島へ幾度も避難所を求めていた。
洛東江=喫水の浅い地元船に限り230キロメートルまで航行可能である。
豆満江=小型ジャンクに限りわずかな距離が航行可能である。朝鮮の慶興の町の河畔で川幅は約0.5-0.6露里(=一露里は1066メートル)。

・踏破した町
ロシア国境
慶興ー人口700人、一軒の小店もない。
鏡城ー監察使(ロシアの知事)がいる。戸数1500、人口約一万人。近年日本の漁船=小型蒸気船が寄航するようになった。
城津ーここの入り江は凍結しない。日清戦争のとき日本軍が諜報員を派遣した地域の最先端。
端川ー郡守が在住する。日本人七名からなる測量隊にあった。
北青ー郡守が駐在する町。かつて監察使が住んでいた。数日前に日本人測量技師らが観察使が住んでいた建物を宿舎として明け渡すよう当地の郡守に要求した。郡守はこれを跳ねのけ、朝鮮人たちは大群衆で日本人を取り囲んで抗議し投石までした。日本の字氏たちは家の中から銃をめくら射ちし朝鮮人一人が負傷した。1月8日に恩平30名が元山から北青へ派遣された。戸数1500、人口1万人。
洪原ー現郡守はロシアで暮らした農民である。彼は熱烈なる親露主義者であり、心底から日本人を憎悪していた。洪原の近くにある馬養島が良湾を形成している。不凍港である。
元山ー外国人に開放されてきた朝鮮三港のひとつ。人口約一万人。元山の最良の地域は日本人が占領している。1896(明治29)年年1月現在、日本軍の中隊が駐留中である。当面日本人は湾の南を占領したに過ぎない。ラザレフ港(永興湾)は全域まだ手付かずの状態である。
咸鏡道ーもっともわがままな州のひとつである。先祖の旧習を守り新しいものには一切耳を貸さない。
・以下略


午後、サンシンの練習をする。4月18日に予定されている発表会で桑村さん・漢那さんが演奏する『新港節』のギター伴奏を作りたいのだが、オルガンでこの曲をひき、和音をつかむのがけっこう難しい。和音は二つくらいしかないようだ。


<今日の食事>
朝 ごはん 糸こんにゃくと鶏肉の料理 エンドウとキャベツをゆでたもの(ーーこれが思い出せなかった。)
昼 うどん
晩 お好み焼き(三食分を二人で食べるので少し残った。明日の朝のお楽しみ)