2010年3月12日 金曜日


前夜はAM2:30就寝。台湾の青年と中国東北部の女優の恋愛映画をみる。
5時トイレ。.8:50起床。


10:00から12:15まで『1885ー1886年の南朝鮮旅行』 (参謀本部 カルネイェフ大佐、ミハイロフ中尉)の続きを読む。
地名の場所を確認しながら読んだためにあまり進めなかった。 
・断髪命令に対する抵抗が強い。「髪は朝鮮人の生活の中で最も偉大で、最も重要なものと関わるのだ。」
・忠州から16露里のところには・・・佳興という大きな村があり、日本の電信局も所在する。ここには日本軍歩兵第20連隊()所属の兵士30名が駐留し、電信局の防衛に当たっていた。部隊は1894年以来ここに駐屯している。
・ソウルに到着
・(徳寿宮うら)我々の眼前には米国、英国、仏国の国旗、そして一際高くロシアの国旗がはためいていた。さらにしばらく進んで、ロシアの双頭の鷲を誇示する美しい石造りの門の前で我々は停止した。柵の内側にはロシア帝国公使館の広壮な館があった。
・国王は我々に個人的な謁見を賜った。その当時国王は小さな館に蟄居中であった。王宮内の王の面前で虐殺された不幸な王妃が荼毘に付されたおり、灰の中から集めて棺に納めた遺物が安置されている場所のすぐ脇にこの館は建っていた。虐殺の下手人は日本人であり、この神経を逆なでする虐殺の首謀者がソウル駐在の日本政府代表だったと想定するにたる根拠も存在するが、これについては後述する。それをあたかも嘲笑するかのように、これらの恥ずべき虐殺者らは東京の法廷において、証拠不十分のために全員の無罪が宣告された。
・p201〜p216


14:00〜16:00 桑村邸でサンシンの練習。「新港節」の練習を二時間やった。私は疲れてこれで失礼したが、桑村さん、漢那さんは申しすこしやったようだ。

17:00すぎ、宮内皮膚科へいって蕁麻疹の薬をもらった。

18時過ぎ、小花とお母さんがやってきた。一緒に食事をした。


今日の食事
朝 ごはん おつゆ 牛乳・バター入りの卵焼きと野菜
昼 お雑煮(昨日重松君が持ってきてくれたおもちをつかった)
晩 ごはん ポテトサラダとハムとボロッコリー ほうれん草のナムル キャベツと豚肉の重ね蒸し(これがメイン、おいしかった) カツオのたたき