2010年3月11日 木曜日



前夜は11時就寝。
5時トイレ。8:00起床。



10:0から 東洋文庫『朝鮮旅行記』を読む。
今日は『1885ー1886年の南朝鮮旅行』 参謀本部 カルネイェフ大佐、ミハイロフ中尉 p166〜p201

・1885年 カト氏によると、釜山の日本人居住区は、不断に増大する日本人居留民の所為で、すでに手狭になっているそうである。釜山には、二個中隊の歩兵部隊と若干の憲兵を日本は駐留させている。彼らの任務は、大邱の町まで引かれた電信線を防衛することである。
・日本領事館の裏手にそびえる山は、樹齢100年を越す松が林立する唯一の美林で覆われている。山頂には神道の社があり、人工の鉱水がそこで売られている。山の背後にある日本の学校には、100人あまりの少年が学ぶ。1895年末における日本の釜山の人口は、定住する日本人4,953人と短期滞在者126人からなる。そのほかに自らの漁船に乗って湾岸を俳諧する、オヨソ7.600人の日本人漁民も考慮せねばならない。外国人は32人でこれには宣教師や女性宣教師も含まれる。
・(12月16日出発) 釜山・(梁山・彦陽県・慶州/居昌県・蔚山)・迎日県
・彦陽県までの道は翌日中に走破した。彦陽県の町では、七名の日本人技師よりなる測量隊に遭遇した。・・・測量技師等は自らの作図を見せてはくれなかった。
・189p〜192p 東学についての宣教師による説明の引用がある。
・慶州 1894年のペストの流行が家畜をほとんど根絶させてしまったので、町には僅に15頭が残るのみ。
・(英陽県手前の峠で)この地方は虎が多いので、村人たちは自らの敷地を、高い網垣で念入りに取り囲んでいる事実を記すべきであろう。
・(英陽県で中尉の一行と合流 英陽は青松郡の北)


パソコンが一時故障。インターネットとつながらなくなって困ったが、何度目かの挑戦で直った。


今日の食事
朝 ごはん いわし酢しめ たまねぎサラダ おつゆ
昼 (妻は外出) ごはん たまねぎ いわしの酢しめ イノシシ肉焼肉
   ※食後 お酒を買って少しく飲んだ 一眠りした
晩 チャーハン たまねぎ 味噌汁