2010年3月10日 水曜日


前夜は11時就寝。
5時トイレ。8:00起床。

10:0から 東洋文庫『朝鮮旅行記』を読む。
今日は『1885年朝鮮の現況 1885年』アムール州総督官房付:講釈ダデシュカリアニを読み上げた。p65〜p163。

・朝鮮の牛は世界最大の牛・・・しかるに、朝鮮人が牛を挽獣として利用せず、馬と同じく駄載もしくは騎乗するのは、全くだ独創的である。
・朝鮮の男が家庭生活でルーズであるのと同じ程度に、朝鮮の女は貞節で道徳的である。・・・朝鮮女性の道徳の厳しさは、朝鮮在住の外国人がすべて、妻を日本から呼び寄せるのと余儀なくされるという事態まで招来している。
・朝鮮の農業はひどく単純である。栽培するのは米とタバコのみで、それも 国内消費に必要なだけしか作らない朝鮮農民はそれ以上何も生産しない。
・※注目されるのは、朝鮮人が牛の乳を搾ることを全くせず、かくて乳製品は利用しない事実である。
・朝食後に農作業は始まるが、どんな仕事も正午には終わって、再開は決まって翌朝である。
・奴隷は王国で最も醜悪なる現象で、決定的に風紀を退廃させている人口である。奴隷のおかげで、両班や中人のみならず、家内手工の諸階級も寄食を決め込んでいる。奴隷は誰でも購入が可能だからである。朝鮮における奴隷と女奴隷は100万にも達する。これらの不幸なる連中のみが現実に勤労者階級を構成し、自らの顔を流れる汗をもって、残りの1000万人全員を養う。国家は彼らのみによって支えられている。
・渡し舟は国王の直営であるから、王国の国民はただで川を渡ることができる。
・釜山は・・・湾内は非常に広くて静かである。その湾岸には二露里を隔てて二つの町が横たわり、その一つが朝鮮の釜山とそしていまひとつは日本の釜山を呼ばれる。外国人に開放されているのは、日本の釜山だけである。ここには今のところ、2,000人ばかりの日本人のみが在住しているために、町も純粋に日本的性格を帯びている。日本領事が町長であって、警察も200名の兵士も彼の指揮下にある。・・・ここには中国商店も英国商店もないのに、中国人は日本人に対する嫉妬から、また英国人はおそらく半島のこの海岸にロシアの影響が及ぶのを予防するために、いずれも自前の領事を置いているのである。
・済物浦、元山について同様の興味深い説明あり。(99p〜100p)
・ともあれ、80年代の政変黄には朝鮮国民が二方向へ分裂している。その一方は、祖国の安寧のために現行の孤立体制を解体し、その事業ですでに経験をつんでいる日本を手本とし、その指導の下に祖国へ改革を導入することを必須と見る。もう一方には、旧体制及び中国との同盟を擁護する勢力がある。・・・保守反動としか呼びようのない後者を統率するのは、つい先頃まで摂政で国家の統治者だった王父李是応(すなわち、大院君)であり・・・・
・並外れて聡明で意欲的な彼の妻、閔妃の国王に対する影響のおかげで、問題は解決を見、しかも進歩派の希望通りに落着したのである。五月にはアメリカとの条約が調印され、6月には英国及びドイツとの間でも条約調印を見た。日本に対しては、近い将来に済物浦も開港するという言質が与えられた。
王父の指揮下に保守反動分子の反乱が全国津々浦々で勃発するためにはこれで充分であった。
以下
・壬午軍乱 
・甲申事変

さらに『1889年夏の朝鮮旅行』参謀本部ウェーベリ中佐を読む。
朝鮮ロシア国境から朝鮮王国ソウルまでの旅は、乗馬で53日間、すなわち、5月18日から7月9日まで(道中六日の休養日と元山港に滞在した五日も含む)を要した。

14時から15時まで昼寝。

夕食時、孫とお母さんが一緒。8時ころ星次も来宅、今日は名古屋へ出張だったとのこと。


今日の食事
朝 ごはん 卵焼き 納豆 レタス 味噌汁
昼 うどん
晩 ごはん イノシシ料理 豚肉のしょうが焼き いわし料理