2010年3月9日 火曜日


5時トイレ。8:00起床。
すぐに風呂に入り8:30出る。
9:00から朝食。

10:30から 東洋文庫『朝鮮旅行記』読む。昨日から「ソウルから北朝鮮を経てポシュートに至る徒歩の旅日記」(1885年12月6日〜1886年2月29日 パーヴェル・ミハイロヴィッチ・ジェトロケヴィッチ著)を読み続ける。12時15分、読了、64p。


1885(明治18)年年12月6日船でヴラジヴォストークを発ち、12月8日長崎着。三菱の美濃丸に乗り換え、12月14日朝鮮・済物浦へ旅立つ。
美濃丸は日本朝鮮をつきに二回就航している。長崎から朝鮮釜山港をへて済物浦へ入港。
釜山港には中国の軍艦二隻、英国の軍艦一隻、日本のコルベット艦一隻。
済物浦はもっぱら朝鮮人の住む町。ここにある二つのホテルのうち一つはドイツ人、もう一つは日本人の所有。済物浦の現地税関勤務の役員は10人のヨーロッパ人。役人の一人はロシア人。ここに英国、日本及び中国が領事の資格で代表を駐在させている。
ソウルへ入ったがここにはホテルはない。朝鮮人はとめてくれない。ロシアの代理公使が、著者の朝鮮旅行パスポートを入手できるまで、公使邸にとめてくれることになった。1885年12月21日から1886年1月10日まで、朝鮮語を取得し首都を見物した。
1月8日パスポート受領。

元山までの食料を購入、1月14日、馬一頭に荷物を積み、案内人一名と私は徒歩で出発した。
1月21日元山着。中国人と日本人の店が各二軒あり、朝鮮税関勤務のヨーロッパ人も在住。日本と中国の領事もいる。元山には長崎とヴラジヴォストークを結ぶ定期航路の日本船が立ち寄るが、12月半ばから3月までは休航である。大雪。1月26日出発。1月29日、永興をたつ。中国人が金を採掘している谷を通る。金は元山で日本人に売りさばく。
2月28日午後六時慶興へ着く。2月29日ヤンチーハに到着。朝鮮人案内人を別れる。

14時から16時まで昼寝。


今日の食事
朝 ごはん アジのヒラキ 野菜 味噌汁
昼 お雑煮、いのししの肉料理(少しあまった):お餅もイノシシの肉も昨日重松君が呉れたもの。おいしかった。
晩 ごはん イノシシ料理の残り(うまい) マグロの刺身 キャベツサラダ お汁