2010年2月12日 金曜日

『閔妃暗殺』を読む、214~300p。

朝鮮王朝の分裂外交 

1894年7月25日豊島沖で日清海軍交戦 清国大被害を受けて潰走、同月29日夜、日本軍は成歓で清国軍攻撃、戦闘一時間で清国軍を潰走させた。
8月1日宣戦布告。8月15日第1次金弘集内閣、日本の支配下に成立。9月16日、平壌を占領した日本軍は北進。鴨緑江をわたり九連城に入城。9月17日日本艦隊が清国艦隊と公海上で遭遇、黄海の制海権を握る。

閔妃の自負心

1894年十月初め、参礼で第二世東学教主・崔時亨と全琫準が再び蜂起、北上を開始、途中木川(モクチョン)細城山に立てこもって日韓連合軍との先頭に備えたが、公州
での戦いに破れ全羅道に逃れたのち反撃を試みるが失敗。翌1895年1月15日、孫ヒョンヒの東学軍北接主力部隊が忠州で完敗。

日本公使の交代

日清戦争を「不義の戦争」と呼んだ勝海舟は近代日本の進路を誤りと断じ、伊藤、陸奥、福沢に対しても批判を向けている。・・・・・
・・晩年の勝海舟と大院君との間には文通があり、互いに敬意を評しあう仲であった。大院君は彼の得意とする蘭の絵を描いて勝
に送っている。

下関の李鴻章
公使井上馨の失権
王妃暗殺計画

まで。明日は読み上げられそうだ。そのあと、3月に松山へ来てくれる金文子さんの『 朝鮮王妃殺害と日本人』を読むことにしよう。

散歩。午後14時10分~15時20分、いつもは50分くらいだが今日は1時間10分歩いた。近所を早足で歩く。小野川沿いにどんどんくだり、県道40号線まで行って引き返す。途中あまり頭は働かないのがちょっとさびしい。

帰宅後、風呂を洗ってテレビを見る。
小花とお母さんがやってきて一緒に食事。
そのあと自室にかえる。