2000年 12月22日 金曜日

 『本名』 その7


 
 私は狭い基地のシキビの木の後ろにある、例の苔むした墓石のあたりでお経を唱えていた.若い僧のお経は依然として早口で、私は追いつけない。T婆さんはちやんと唱経している。

 この納骨の法要のあいまに、私はT婆さんから思いもかけない話を聞かされた。この足もとにある苔むした墓石群が実は尾上家の祖先の墓だというのである。

 私は非常に驚いた。私も、私の母も、二宮の一族も、そしておそらく私の亡父も知らなかったことである。私たちはみなこの五つの墓石を無縁仏だとみなしていた。しかし、同じ敷地にある墓だからと、墓参りのおりはついでにお線香をあげていたのである。

 そのお墓が、私の租先の墓だというのだ。祖父と曽祖父の墓碑は、父の河原石の墓標の隣に立てられているので、これら苔むした墓石は曽祖父以前のものということになる。

 弘化の年号の刻まれた碁石には、「弥七」の俗名も読みとれる。

 今回の中国残留日本人孤児団の中には、団員どうしが実の兄弟姉妹であることが、日本へ来て判明したケースが二組もあって、みんなを驚かせた。

 私とこれら苔むした墓石との関係もこれに似ていた。ほとんど、石ろに近いものであった墓石が、ある日突如として私の祖先として姿を現わし、そして、弘化の時代からすでにお前の祖先はここに生きていたのだと、喜木津あたりをうろついていた私を嘲笑するのである。
                           (1983年12月20日)