2000年 12月18日 月曜日

 『本名』 その4


 
 「ここから山を越えて上須戒へ移住した人がおると思うんやけど、そんな話を聞いたことある人、おらんかな。明治の初めごろか、ひょっとしたら幕末のころかも知れんけど、」

 「上須戒はちょっと遠いのう、何言う人かのう。」

 「オノエ言うのとニノミヤ言うのが一諸に移住したらしいんやけど……。」

 「おお、ニノミヤ言うんはこの部落にはなんぼでもおるぞ。ここの八割はニノミヤ姓ぜ、ここの先祖は平家の落人やけんなあ。関門海峡の潮は佐田岬の沖をずっと回って、ちょうどこの喜木津へ流れつくんよ。その潮に乗って平家が落ちて釆たんよ。」

 「オノエ言うんはおらんのう。」

 「いや、ここにはおらんが、こっから10キロぐらい先のT部落に一軒あるぜ。道端の家じゃ。」

 「おお、あるある。」

 「しかし、上須戒へ移住した言うのは聞いたたことないのう。」

 「そのT部落のオノエに聞いてみたらわかるかもしれんけど……あそこは確か電話がついとらなんだと思うぜ。」

 私は喜木津を尋ねる前に何冊かの地名辞典に当って、この地が寛延3年の喜木津・広早騒動と呼ばれる百姓一揆の舞台であることを確かめていた。そして、私の祖先も、ひょっとしたら、その後もあったあろうこの種の騒動に関わって村におれなくなったのかも知れぬと考えたりもしていた。ついでに、この騒動の話をもちだしてみた。

 ところが、誰もこの一揆を知らなかったのである。年かっこうからして、また話し振りから見て、この地の事情には一番詳しそうな人々であり、さきの平家の落人の話、家の裏から掘り出された武具の話など興味深い話がつぎつぎと飛び出てきて時間のたつのを忘れさせるほど話し上手の男たちなのであるが、ことこの喜木津・広早騒動にっいては、誰もなにも知らないのである。
                           (1983年12月20日)