2000年 12月17日 日曜日

 『本名』 その3


 
 年を取るということはやはり大したもので、一人息子である私も三人の男の子の父親となった。

 そのうち、いつまでたっても父親になり切れない自分に気づき、そのことと自分が父親を知らないことと間にに深い関わりがあることにも気づき、そうして、机の中に忘れられたネガ・フィルムをのぞくような気持で、父や祖先に興味を抱くようになってくる。

 今年は八月の終りに、友人M氏と一緒に、私の先祖の出身地と聞いている村を訪ねた。喜木津集落、松山の南西約五十キロ、伊予灘に臨む小さな漁村である。

 集落は険しい山と澄んだ海のはぎまにある。狭苦しい土地に七、八〇戸の家が固まっている。山腹に建てられた家も多い。

 実は私とM氏ははこの時、自転車でこの地を訪れたのであるが、その事情は説明が長くなるので割愛しよう。私達は県道から海へ続く下り道に入り浜へ出た。浜には小さな旅館や公民館やうす暗い雑貨屋もあり、建て込んだ人家の前のコンクリート道には漁網が干されていた。

 そんな家並の一角に漁協の事務所とおぼしき家もあり、室内に数人の人影がみとめられた。近づいてみると、そこはさっきの雑貨屋とつながっており、室内の奥の半分が事務所、手前の半分がコップ売りの酒屋になっているのだった。人影はコップ酒の客であった。

 一番奥に坐っている五十歳ほどの白シャツの男がご主人らしい。三人の客は四十から五十過ぎ、みな漁師と見受けられる。

 私たちもビールが飲みたくなっていたので、この店に入った。みんな話し好きばかりのようで、すぐ打ちとけてくれた。海の美しさを愛で、サイクリングの楽しさを語り、この村の四季の自慢を聞き、そして本論に入った。
                           (1983年12月20日)