2000年 12月15日 金曜日

 『本名』その1 (1983年12月20日執筆)


 
 私の姓が「オノエ」なのか、「オノウエ」なのか、時おり人から尋ねられることがある.ニホンかニッポンか、二つの名をもつ国の国民であるから、姓に二つの読み方があってもおかしくはないのであるが、こういうことはやはり一つに統一しておいたほうがよいようだ.
 

 私は大抵、オノエが本当だ、と答える。しかし、自分自身でも電話で名乗る時はオノウエと言うことにしている。というのが、電話でオノエと言うと、ほとんどの場合、コノエと聞きとられてしまうからだ。

 

 また、銀行や病院などではオガミと呼ばれるのが常で、そう呼ばれても元気よく返事をする。オノエ、オノウエ、オガミのどれで呼ばれても返事をするというのであるから節操のない話である。

 

 今年もまた、中国残留日本人孤児たちが肉親を求めて日本に帰ってきた。彼らの訴えを読むたびに私は複雑な気持になる。

 

 というのも、まず彼らのほとんどは私と同世代である。しかも、昭和19年、母親は私を連れて朝鮮半島をへて、北京の北、万里長城下の宣化まで行き、そこで病死した父の遺骨を受け取ったのである。一歩まちがえば、私も彼らと同じ運命をたどらねばならなかったかもしれないのだ。

 

 さてその孤児の訴えの中にまだ知らぬ自分の「本名」に触れているのが二つあった。一つは、長春に住む潘素珍さんのもの。

 

「私の日本名は何ていうの。自分の名前を知らぬのは人間としてさぴしいこと。つらい。」

 

もう一つは、K河県の董広林さんのもの。

 

 「父と一緒に働いていた人が日本にいるはず。生きているうちに本名を知りたい。」

 

 人間であるかぎり、生きているかぎり、自分の本名をなんとかして知りたいと胸をかきむしって叫んでいる人がいるのに、オノエでもオノウエでもオガミでも無節操に返事をするものもいる。これはやはり、平安をむさぽるもののおごりであろうか。