2000年 12月06日 水曜日

 「酔客のごとく」 下


 

 漱石さんは次のように続けます。

「天子の病は万民の同情に価す。しかれども万民の営業、直接天子の病気に害を与へざる限りほ進行して然るべし。当局之に対  して干渉がましきことをなすべきにあらず」

 病気の快癒を心底願う人であるなら、病気の快癒につながることをなすべきです。一昨日、愛媛県議会は天皇の回復を祈念する決議を、社会党の退場、共産党の反対を押し切って強行採決したそうですが、これなども「没常識」の典型でしょう。

 天皇の病気を政争の種にすることが、病人である裕仁さんにとってどんな励ましになるというのでしょうか。生老病死は人間にとって、生き物にとって、逃れることのできない絶対条件です。老いて病に倒れ、死に直面している裕仁さんへの励ましが、多数決による決議であるはずがありません。もっと個人的で、もっと密室的な祈念であるはずです。そして、どの老人にも、どの病人にも相違ずる哀れみがなによりも大切と考えます。

 最後に漱石さんのマスコミ批判。                          

「新聞紙を見れば彼等異口同音に曰く、都下闃寂(ゲキセキ=静かなること)火の消えたるが如しと。妄(ミダ)りに狼狽して無理に火を消して置きながら自然の勢で火の消るが如しと吹聴す。天子の徳を頌(ショウ=称賛)するところにあらず。却って其徳を傷(キズツ)くる仕事也」

 全くの同感です。今回の「自粛」ブームももとはといえば、用意万端準えて「]デー」を内心心待ちにしているマスコミがあおったものでした。

 そういえば、名古屋市民は中日ドラゴンズの6年振りの優勝を目前にして最高に盛りあがっていたのですが、今や「闃寂火の消えたるが如し」の状態だそうです。

 名鉄セブンビルの縦15メートル・横3メートルのドラゴンズXの大激励看板が撤去され、名古屋三越では店員がつけていたドラゴンズワッペンが外され、ダイエーも優勝マジックに合わせたカウント・セールを中止、クヤシー。

 私は、中日の快挙に水をさそうとするマスコミや宮内庁、そして「自粛」ブームに対して没批判の皇室のおかげで、今や「皇室を恨んで不平を内に蓄ふる」(款石の日記から)の民と化しつつあります。

 さて、裕仁さんの父上(大正天皇)が逝去なきった時の民衆の様子はどうだったのでしょう。この時の「自粛」ブームも大変なものだったのですが、永井荷風さんは「断腸亭日乗」の中で、次のょうな記録を残してくれています。日付は裕仁さんの父上ご逝去の翌日です。

「十二月二十六日…吾妻橋を渡り自動車を下るに雷門外の灯火沸くが如く、絡繹たり(人ノ往来ガヒッキリナシダ)。上野広小路を過ぎ万世稀にて諸子と別れ独り銀座に至る。歳暮雑踏の光景、毫も諒闇(天皇死去後の服喪期間)の気味なし。銀座通りの夜肆(ヨミセ)もまた例年の如し。大訝に登るに酔客楼に満つ。」

 たくましい大正の酔客たちではあります。そして私もこの酔客の如き中日ファンでありたいと思っています。