2000年 12月01日 金曜日

 「義憤」

   

 調子の悪かった中古スキャナーが作動し始めた。初めてOCR(「超整理er」)というものも使ってみた。以下、OCRで初めて「復刻」に成功した文章、今からちょうど20年前に書いたものだ。懐かしいことが書いてある。読みながら自分で涙ぐんでしまった。

義 憤

尾 上 まもる


 ある日曜の朝のことである。私は新聞の囲碁欄をひろげて、一人 で石を並べていた。碁も中盤に入ってろそろわけがわからなくな ってきたころ、女房がニ階で私を呼ぶ声がした。

 女房は三十八歳になった。以前は私を「まもさん」と呼んでくれ ていたのだが、この頃はいつも「お父さん」である。私は老母から も、女房からも、子どもからも「お父さん」と呼ばれる。私にはこ れがーつの不満である。

「お父さん、ちょっと。」
「はい」

 私はいつもの高い調子で返事をして二階へ上がった。  女房は子供たちが使っている六畳の部屋に立っていた。中学一年 の長男は野球の練習に行っている。下の子供たちも外へ出ているo

 私が部屋に入るや、女房は
「ここを見てよ。」
と、長男の机を指さした。女房は今日は必要最小限のことしか言わぬ決心と見えた。

三・四日ほど前、女房はこの机の抽出の中に千円札が四枚入って いるのを発見した。女房はびっくりして、さっそく長男をつかまえ て詰問した。

 息子は案外素直に吐いた。息子は野球で肩を痛め、接 骨院に通っている。その時のつり銭をごまかそうとしたのであっ た。女房はほかにもごまかしがあるのではないかと尋ねた。息子 は、他にはない、初めてだ、と答えた。

 女房はその夜、寝衣に着替えた 後も、ずいぶん長い間、布団の上に正坐して考え込んでいた。 実は財布の中の勘定が合わぬのだという。女房は目を閉じて、懸命 にお金の出入りをたどっていたが、結局、はっきりしたことはわか らず、そのまま沙汰止みになっていた。

「机の抽出をあげてみて」

 ―― やれやれ、こんどは何が入っているんだろう。また、お金で も出て来たのだろうか。

 一番上の抽出をあげる。大したものは入っていない。ノートと か、鉛筆とかが雑然とほうり込よれている。

「そっちの抽出を見てよ。」

 女房はやっぱり必要最小限の指示しかしない。私はその指示通り 一番下の抽出を見た。

ウエイト・トレーニング用であろうか、小型のスポーツ用品らし いものがある。

 その下に本が数冊しまいこまれていた。「中一コー ス」「少年サンデー」ここらはどうということはない。 その次が 悪かった。ポケットサイズの「ザ・初体験」というのが出てきた。

 とり出してぺージを繰ってみる。

 ―― カー・セックスってつて興奮度バッグン  ―― 年増女にりードしてもらったおれ

 こんな見出しの「体験談」が満載されている。
 ―― なるほど

 私はふと自分が中学生の頃、本屋さんの片隅で、「夫婦実話」と いったたぐいの雑誌をどきどきしながら盗み読みしていたことを思 い出した。ある時は、顔見知りのど主人に、「マモチャンもそがいな本 を読むようになったか」、と冷かされて逃げ出したこともあった。

 ―― それにしても相当どぎつい本だ。
 その本の下に白いカバーの本があった。カバーを裏返しにしてい るのである。 エロ・マンガであった。

 ―― ふうん。中学一年で、もうこんな本を読むのか。はて、ぼくが本 屋でエロ本の立ち読みをしていたのは何年生の時だったかしら。 やっぱり中一だったかなあ。

 そんなことを考えながら
 「どれが問題なん。」
 と、私はとぼけて尋ねた。

 女房は私のこのせりふを聞くと血相を変えた。

 「そう。そんなことを言うんなら、私はもう知らん。」
 「そやから、あんたはどこがいかんと言いよるん。」

私はー度とぼけてしまったので、またとぽけたo

 「―― これが、―― これが、二百円や三百円で買えると思う?」

 女房は抽出の中を指さして、私の無責任ぶりをなじるようにそう 叫んだ。そして、大粒の涙をボロボロと落とした。

私は迂曲だった。女房の敵はエロ本ではなかったのだ。そ れはあの奇妙な形をした小型のスポーツ用品だった。

確かにそうだ。それはその気で見れば、一見して数千円はするも のと知れた。

「あの子は、私をだまして ―― 初めてだと言うから信じたのに  ―― なんど聞いても、あとはないと言うといて ――」
女房は立ったまま泣きつづけている。この真新しいスポーツ用具 で、女房の勘定がぴったり合った。息子はやっぱり何千円か抜き取 っていたのだ。

 私は女房の涙に弱い。中一にもなればセックスに興 味を持つのは当然だ、親の財布からお金をくすねるぐらい誰でも経 験のあることだ、と訓を垂れてやりたい気持がちらちらしていたの だが、女房が泣きじゃくっているのを見ていると、そちらの方が真 実に見えてしまう。

私は訓を垂れることをあきらめた。

「わかったよ。ぼくが、今晩、ように言うてやるけん。」

とは言ったものの私の怒りは曖昧であった。 ―― さて、息子に何を話してやればよいのだろう。

 女房は、その曖昧さに対峙するかのように肩を震わせ続けている。
 「とにかく、今晩きつうに言うやるけん。なっ。」
 女房の肩をボンとたたいて、私はとりあえず決心した。

 実は、私は以前にー度だけ、この長男をずいぶん乱暴にしごいた ことがある。この子が小学校のー年生の時であった。そのころ、近 所の子供たちの間で縄跳びがはやっていて、長男も毎日夕方になる まで縄とび遊びで走りまわっていた。

 子供たちの縄跳びは次第に上手になってゆく。二重跳びができる子が出てくる。中には、三重跳び ができる子も現われる。だけど、長男はいつまでたっても普通の 縄跳びしかできない。一人で、自分なりにニ重跳びに挑戦してみる のだが、何度試みても、二度目の縄がからだの下をくぐってくれな い。

 私もニ、三度教えてみたがやはりうまく行かなかった。うまく 行かないだけではなく、長男は私の前で失敗すると、しくしく泣き 始めろ。 そんな姿を見ているうちに腹が立ってくる。

 ―― だらしない。情けない。意気地がない。
 私はある日、意を決して、子供を郊外にある自衛隊の演習場へつ れだした。そして演習場の隅っこの松林の中で特訓を始めた。失敗 して泣くと突き倒した。倒れたままで泣いていると引き起こして放 り投げた。私は異常な気分になっていた。三十分ほどの悪戦苦悶の あと、長男はついにニ重とびに成功した。まぐれかもしれないぞ、 ともうー度やらせたら、またできた。息子の服はほこりだらけにな っていた。背中や袖に松の落葉がいっぱいくっついていた。

 息子は翌朝、まだ暗いうちに表の道路へ出てニ重とびをした。や っぱりできた。息子は顔をほてらせて朝食の席についた。

こんなこともあったので、私は、折檻する時は徹底的にやらねば ならぬ、と考えていた。 私のとりあえずの決心というのも、そんな 意味あいでしかなかった。父親というものがそんなあり方でよいの かどうかについては確信が持てなかったo

 私の父親は、私が二歳の時病死したo 生きていれば何歳になるの か。私はそれを計算したことがない。計算する必要を感じたことも ない。

 父親についての私の心象は実に貧弱である。家に古いアルバムが 一冊ある。母の所有物である。このアルバムにー枚だけ、父のスナ ップ写真が残っている。仲間うちで酒を飲みながら談笑している写 真である。母の話によると、父は俳句をやっていたそうで ―― そう いえば、十年も以上前に、母が私に父の句帳を見せてくれたことが あった―― この写真も、句会の時のものだと言う。チョビひげとビ ール腹。父の実像に近いものとしては、この写真がー枚あるきりで ある。

 父親の声となると、当然のことではあるが、さっぱりイメージが 湧かない。声のイメージが浮ばないということは、まことにむなし いことである。

しかし、私が自分の父親の存在を実感できない本当の原因は、実 は、父親であるというー人の男が、自分の将来を私の将来にどのよ うに重ねていたのか、それを全く知り得ないところにあるように思えてならな い。私は、父親の示す道に反発することもできなかったし、 服従することもできなかった。

 人々は元禄十五年に、あるいは、天平勝宝元年に生きていた自分 の祖先を実感できない。それと同じように、私は自分の父親の存在 を実感できないのである。そして、父親の何たるかを知らない私を、 子も、妻も、母も「おとうさん、おとうさん」と呼び立てるのであ る。

 長男が野球の練習から帰ってきた。外はもう暗くなっている。下 の子どもたちは、母の部屋でテレビを見ている。
 茶の間に入って未た長男は、低い声で「ただいま」と言って、誰とも 視線を合わさずに食卓についた。 そして新聞をひろげた。

私は、夕食の支度をしていた女房に、目で長男を指してニヤリと 笑った。 女房は笑わなかったo

帰って来るなりどなりつけるのもどんなもんだろうかと、私は隣の 母の部屋に入ってあぐらをかいたo

 ―― どこから攻めるか。 どこがー番の問題なのか。

 私はそんなことを考えながら、テレビ・マンガを眺めていたo考 えてみれば、私には確たる道徳律というものがないのである。父を 知らぬことと関係があるのかどうか、はっきりしないが、善悪のけ じめがひどく曖昧なのである。だから、なかなか本式で怒れない。

 いつまでも放っておくわけにもいくまいと茶の間に入ってみる と、そこではもうとっくに始まっていた。女房が長男をなじってい る。長男がうなだれて正座している。 女房はー区切りしゃべっては 頬に涙をしたたらす。息子も目をうるませている。

 ―― かなり参っているようだな。私でもこう泣かれてはお手あげ だ。

「ーーあんたは、もう他にはないと言うといて、お母さんをだまして、 平気でだまして ――、もうないというから、あんたを信じたのに ――やっぱりとったんじゃないの」

 涙でとぎれとぎれしながらも執拗に続く女房の叱責を聞きながら、 私は息子の正面に坐った。私の怒りはやはり曖昧なままであった。

 今になっても、私の怒りには、本質的なところで何か欠けるも のがあった。女房のようには怒れなかった。

「あんたが、そんなにしてお母さんをだますんやったら、お母さん は、もう何にもしてあげん。ごはんも作ってあげん。洗濯もして あげん。野球もさせん、レコードも貰うてあげん。 なんにも、買うて あげん。」

女房はここまでー気に言い放って、あとは子どものように泣きじ じゃくった。 そんな女房を見ながら、私は久し振りにいとおしい、 と思った。

 女房はもうすっかり母親になり切っているのだ。母親であること を止めるぞ、と息子をおどしているのである。
 私もなにかを言わねばならぬ。今言わねば、このまま済んでしま いそうに思われた。

 「それで、おまえはナンボ使うたんぞ。」
 「 ―― 三千円。」

 息子はすっかり観念したようすで私の目を見ながら短く答えた。 ・ l
「三千円か。」
「はい。」
「いくまいが。」
「はい。」

 私はなにやら祭りの後片付けをしているような気分になっていた。 私は声を荒げて自分の心をかり立てた。

「おい!そりゃおまえ、どろぽうじゃが。金をだまってネコババするのは 泥棒じゃが。」

いやなことを言ってしまったと思った。息子はどろぼうじゃな い、こんなことは誰でも経験ののあることだ。

しかし、息子は、泣き出しそうな声で
「はいーー」
と答えてしまった。

 私が自分の発した言葉にとまどっていた時に、女房が話を継いだ。

「お母さんはね、あんたの机の中なんか調べとうないのよ。いやなんよ。 そやけど、あんたかうそぱっかり言うから、調べといかんようになるや ないの。しとうない、いやなことも、せんといけんようになるやないの」

女房が声を詰まらせ詰まらせ、こう言うのを聞いていて、初めて 私は自分の心の奥底から確かな憤怒がこみあげて来るのを感じた。

 しかし、それは依然として父親としての怒りではなかった。 それは 善良な人間に、スパイもどきの行為をさせたものに対する怒りであ った。義憤であった。

それから私は息子を何度も何度も殴った。渾身の力をこめて殴った。
 みるみる息子の方が真っ赤になった。息子は私よりも太い腕で身を 守ろうとした。そして、そのたびに私の怒りは高まっていったo
 息予の口から血が流れ出た。それでも私は殴り続けた。

女房も、結局最後まで私の暴力を止めようとしなかった。 私には もう言うことはなかった。殴るだけ殴って息子を解放した。

 息子は手の甲で口もとの血を拭きながら、黙ってニ階へ上がっていった。私はテレビの部屋に灯った。下の子どもたちは、私が部屋に入っても振り向きもしなかった。そしておぴえたようにテレビの 画面を見ていたo

「今度が最後よ。次からは、あんたが殴られらい。」
 老母は、そう言って、精一杯孫を加勢した。私は無性に腹が立っ たo

ぎこちない数日が続いた後、雨で濁った川が澄んでゆくように、 なんとなく元の生活が復活した。肩の痛みがとれてピッチングの許 可が下りた長男は、毎朝起きるなり外にでて、塀にボールをぶつけ ている。下の子供たちは、相変わらず犬の子のようにじゃれあってい る。あの時の私の怒りは義憤にすぎなかったのだが、長男にとって は父親の怒り以外のものではありえなかったであろうか。

(1980・10・30)