2000年 11月30日 木曜日

 斎藤隆夫を読む 1


 「斎藤隆夫政治論集」(新人物往来社刊 1994年11月30日第1刷)を読んでいる。1936年の2.26事件後の「粛軍演説」、1940年の「日華事変に関する質問演説」で知られる立憲民政党代議士・斎藤隆夫の遺稿集である。

 1940年の質問演説は「反軍演説」として有名である。されば彼は反戦主義者かと思えばさにあらず、その持論は

  • 「人類社会は生存競争の社会であって、…生存競争より必然的に結果する戦争も、また戦争より来る侵略も決して罪悪ではない」(P245)
  • 「世に戦争がなければ人類は向上せずしてついに死滅する」(p246)
というものである。つまり典型的な社会ダーウィニズムだ。されば彼は「反軍」どころか「親軍」と呼ばれるべきであろうし「侵略主義者」と呼んでも不当ではあるまい。

 斎藤隆夫は「侵略主義者」と呼んで差し支えない。しかし、その斎藤隆夫の演説、論考が、われわれ新憲法下の人間にとって実に痛快なのである。のみならずまた、大東亜戦争の何たるかを痛切に教えるのである。

 盧溝橋事件を発端とする日華事変はすでに2年有半を経過し、十万の将兵の生命と引替えに、皇軍の占領地は日本本土の2倍半にも広がった。もう十分である。事変は一日も早く処理されるべきである。ところが現実には、この戦争の行方は何人(なんぴと)といえども予想することができない。あと何年かかるか、どこまでいけば事変は収拾するのか、これを誰も予想できない。

 それはなぜか…斉藤隆夫の冷徹な分析が展開される。事変解決のためには、まずもって、「偽善」が除去されなければならない。「聖戦」、「防共」、「東洋平和」、「アジア諸国の独立」、などなどこれらはすべて日本の政府と軍部の「偽善」である。この偽善が事変の解決を妨げているのである。…今日はここまで。  


関係年表
1937年(昭和12)年
●6月第1次近衛内閣成立。
●7月7日、北京郊外蘆溝橋で日中両軍の軍事衝突が起こった。
●翌々9日、停戦の合意が成り立った。
●翌10日再び交戦状態に突入。
●翌11日現地では停戦合意が成立したが、これより先、日本政府は「華北派兵声明」を発表して全面戦争に突入した。杉山陸軍大臣は「1ヶ月で解決する」と強硬論。
1938(昭和13)年
●1月第1次近衛声明「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」。以後戦況は泥沼化。
●月第2次近衛声明「戦争の目的は東亜新秩序建設にあり」。国民政府の容共抗日政策放棄を期待。
●12月第3次近衛声明「善隣友好・共同防共・経済提携」。国民政府の分裂、投降を期待したが失敗。国民党重慶遷都。南京大虐殺事件。
1939(昭和14)年
●この年国民党と中国共産党の対立激化。
●1月平沼騏一郎内閣成立。
●8月、独ソ条約締結で平沼内閣7ヶ月で総辞職。阿部信之「弱体無能内閣」成立。
1940(昭和15)年
●1月、突然阿部内閣5ヶ月で総辞職。米内(よない)海軍大将内閣成立。
●2月2日、第75議会で斎藤隆夫衆議院議員の「支那事変処理に関する質問」
●3月、汪兆銘、日本の援助を受けて南京に中華民国国民政府を樹立。