2000年 11月17日 金曜日

 照れクサイ 忘暮楼


  この前は「クサイ忘暮楼」だったが、今度は「照れクサイ忘暮楼」。11月17日付けの朝日新聞・愛媛版『ポートレート』に忘暮楼の紹介記事を載せてくれた。相当に照れくさい記事であったが、記念に書き写しておく。

 

ワン・コリア美術展の開催に努力
松山・日本コリア協会理事
尾上守さん(58)

 仕事は?「新田高校の国語の教師です」。そして「ニッコリ協会の理事もしています」と続ける。口ひげをたくわえた顔がニッコリ笑った。

 ニッコリ協会━松山・日本コリア協会の中心メンバーのして、四国朝鮮初中級学校と韓国の学校との合同展覧会「ワンコリア こども美術展」の開催を実現させた。広島の韓国領事や朝鮮学校関係者の間に立ち、会場探しから作品展示までを引き受けた。南北首脳会談で統一ムードは高まっていたが、どこが主催団体になるかなど、微妙な問題も多かった。いちじは開催が危ぶまれもしたが、ニッコリ協会が主催することで乗り切った。

 東京教育大(現・筑波大)の学生だったころ、歌声喫茶で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歌を聴き、アコーディオンにあわせて歌った。「こんな美しい歌がある国は悪い国ではないだろう」と思った。

 そして42歳の時、知人から韓国・朝鮮語を教わるようになった。翌年、全斗煥大統領の軍事政権だった韓国へ旅行。覚えた言葉を話してみたかった。韓国に言いイメージはなかったが「とにかく人が親切で心が通じた」。北緯三十八度線をはさんで緊張が続く両方の国に、親近感がわいた。

 1991年からは、戦前・戦中の別子銅山に強制連行された韓国・朝鮮人の実態調査に乗り出した。95年にはニッコリ協会の仲間らと韓国に生存者を訪ね、聞き取り調査をした。

 「植民地時代の支配が韓国の田舎まで及んだ徹底を、肌で感じた」。夫を連行された老女から「よく来てくれた。今日初めて日本人が好きになった。長生きはするものだ」といわれたことが忘れられない。

 これからも、民間の立場から南北統一に「一肌も二肌も脱ぎたい」と思う。

 忙しいかたわら、家事も覚え始めた。ゴーヤーチャンプルーやヒジキの煮付けが得意料理。妻の敏子さん(58)によると「人間が濃いせいか、味付けも濃い」そうだ。

(蔵前勝久)

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おのうえ・まもる 大阪府生まれで、4歳のとき三瓶町へ。妻、敏子さんも夫の影響で韓国・朝鮮語を学んでいる。