2000年11月 4日 土曜日

 天皇のボディガードに
 肋骨を折られた
 朝日新聞社長


  「『天声人語』の天皇と戦争」(松浦総三著・蝸牛新社・2000年8月15日初版・2000円)があるおそろしい事件に言及している。新聞報道の偏向の実態を知る上で重要な事件と思われるので、すこし長くなるが紹介しておこう。知っていて当然の話だが知らない人が多いのではなかろうか。

 1963年3月、朝日新聞が「エジプト美術展」を東京国立博物館と共催した。天皇と皇后が会場にやってきて鑑賞した。さて、

 
 

  会場へ天皇,皇后が出席した。天皇が美術を鑑賞中、主催者の朝日新聞社長村山藤子が,天皇に美術の由緒について説明するために、天皇の近くへ歩いた。すると、天皇のボディーガードで空手三段という屈強な男が、村山藤子を激しく空手チョップで殴打した。
 村山藤子は、その場にへなへなと倒れた。

 すぐ入院すると肋骨数本骨折という重傷である。よほど激しく殴打したのであろう。村山藤子は六十歳を超えた女性である。天皇のボディーガードの宮内庁職員にとって、相手が老女であろうと、朝日新聞社主であろうと天皇に近づくものは打てという規則があったに違いない。屈強のボディーガードはその規則を守ったにすぎない。戦後20年近くたつというのに,絶対主義天皇制健在を感じさせる一幕であった。天皇身辺護衛のすさまじさを感じさせた。

 この事件には、続編がある。この村山藤子殴打事件は村山の"殴られ損"に終わった。ということは、朝日新聞はタッタ1行もこれを報道しなかった。朝日新聞幹部は,宮内庁や天皇をコワがっていたからだ。

 殴られ肋骨を折られた村山藤子は,朝日新聞経営者広岡和男や永井大三を自宅に呼んで「なぜ新聞に書かぬのか」と抗議した。すると、広岡、永井は「宮内庁に嫌われては損だ」と反論した。これが車種村山家対経営者のお家騒動に発展することは周知である。