2000年10月21日 土曜日

瀬戸内海沿岸のアカマツ林の歴史


   以前紹介した『緑環境と植生学』(宮脇昭著)はずいぶんおもしろい本だった。もう一項目書きとどめておきたい。

 それは中国地方あるいは四国の瀬戸内海沿岸のマツ林の話である。土佐日記などでは土佐の海岸に立派な松林があって鶴が群がっている、などと書かれており、海岸の松林は古来の自然を残しているものと思いがちだが事実はさにあらず……。本書「七 中国地方の自然」を年表的に要約するとこうなる。

  1. 瀬戸内海地方を中心とした中国地方の本来の自然林(潜在自然植生)はシイ・カシ類を主とする照葉樹林だった。
  2. この照葉樹林は、砂鉄から鉄器を作るたたら製鉄の燃料として繰り返し伐採された。
  3. この地方の土壌は、花崗岩質の母岩であるため、土壌が酸性、かつ表層が風化して崩れやすい。
  4. 伐採の反復によって照葉樹林の土壌は貧化して、その隙に、風によって種子が運ばれる陽樹であるマツ類が広く生育するようになった。
  5. このアカマツ、さらに海岸沿いのクロマツ、谷部のコナラ、アベマキ、クヌギなどの落葉広葉樹たたら製鉄 、瀬戸内海沿岸での製塩、さらに薪炭のため長期間にわたって15年から20年ごとに伐採されつづけた。
  6. そのため土壌は一層貧化し、ほとんど全山がアカマツ(代償植生・2次林)に覆われることになった。
  7. (仮説)大気汚染や台風によって樹勢が弱ったところへマツザイセンチュウにとどめをさされ、アカガレが中国地方一面に覆うことになった。
  8. すでに瀬戸内海沿岸の幹線道路沿いのマツはほとんど照葉樹林やコナラ、アベマキ林、モウソウケイ林に代替わりしている。

 参考までに、『日本大百科全書』(1998年7月1日改訂第2版)の説明をあげておく。

 

 アカマツは乾燥した二次林によく発達し、照葉樹林下では十分に育たない。花粉分析から、マツが増えるのは古墳時代以降であることが明らかにされている。『魏志(ぎし)』倭人伝(わじんでん)にも、日本の木を列挙したなかにはマツが登場せず、それを裏づける。マツは火力が強いので、材が精塩や焼物の燃料に、松炭が精鉄に使われ、それらが産業として育った地方では、アカマツ林が広がった。このため、アカマツの植林が増えることは日本本来の植生を破壊し、国土を荒廃させるという「赤松亡国論」が太平洋戦争後、唱えられた。


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