2000年10月 9日 月曜日 体育の日

 家族殺し


   「家庭内暴力」はいまも絶えないようだが、山口の少年のバット殺人事件(自転車長距離逃亡でも世間の注目を浴びた事件)あたりから「家族殺し」とでも呼ぶ<べき暴力が現われている。「無理心中」の一種なのであろうが、殺し方は普通の(!)殺人に限りなく近い。

 家族が憎くて殺すのではない。「生き残る家族が社会的につらい立場に置かれるのがかわいそうだから」というのが家族殺しの動機となっている。

 状況脱出の道を切り開くために「対話」ではなく「暴力」を使う。ここに今日的問題の根源があるのかもしれない。

 ドメスティック・ヴァイオレンス、然(しか)り。イジメ(隷従強制、恐喝、虐待趣味)、然り。バスジャック然り。東予工業高校事件、然り。そして今回の主婦の「家族殺人」、然り。

 この傾向を別の分野でよりはっきりと示しているのが、三党連立になって以後の政治の手法だ。政府与党(自・公・保)は党利党略の単独審議、強行採決を繰り返している。国対政治はすでに死語となっているが、政党間の調整などは無用の長物とばかりに、ひたすら「数の暴力」で中央突破だ。

 東京ともそうだ。東京都日の出町にある一般ごみ最終処分場の二期工事問題。石原新太郎の東京都が「暴力によるごみ処分場問題解決」を進めている。東京都は「対話」の必要を認めず、強制執行期限の二十三日までに反対派を実力で排除するという。反対派実力排除による中央突破は「全国初めて」だというところを澪足しては行けない。これは自治体の新しい動きなのである。

 このような「いらだち政治」「キレル政治」が子どもたちにどんな影響を与えつつあるか、与党のみなさんに考えて欲しい(……うーん、無理かなあ)。