2000年10月 6日 木曜日

 人口と戦争とスポーツ


  • 国家が特攻隊に忘暮楼年代(60歳前後)の人間を使わず、将来のある若者を使ったのは若者が騙しやすいからなのではないか。
  • 国家が少子化を恐れるのは戦争が出来なくなるからではないのか。
  • 大人がオリンピックをやたらと持ち上げ、若者に100分の1秒を競わせたり、1cmを競わせたりするにはなにか不純な動機があるのではないか。
 忘暮楼の貧しい頭は、いつもこんなことの回りを堂々巡りしているのだが、今読んでいる「H.G.ウェルズと日本国憲法」(浜野輝著 思索社 昭和60年)のなかでH.G.ウェルズのこの問題についての見解が紹介されている。忘暮楼は思わず膝を叩いた。浜野輝さんによる文章と引用(p92〜p97)によって彼の考えを要約しておこう。

 

  1. 新しい能力
    人間は、ジェスチャーや言語や文字などさまざまなシンボルを用いることで抽象能力と計画能力を飛躍的に高めた。
  2. 牧畜と農業の道
    人間はこの新しい能力によって牧畜と農業という人間独自の道を歩み始め、今日もその道の途上にある。
  3. 成功と行き過ぎ
    牧畜と農業における成功は人間の大繁殖をもたらし、現在では成功の行き過ぎを犯している。
  4. 最前線部隊
    この大繁殖という生物学的な前進の最前線に立たされたのが、元気に満ち溢れ、紛争の種を捜し求め、騒動を起こそうとしている、過剰な若者たちであった。
  5. 戦争という方法
    人間が若者たちをしつけ、彼らの数を減少させるために選んだ方法が戦争だった。
  6. 人間のリズム
    人間は戦争を数万年も続けてきたので、若者の殺戮は人間のリズムの一部になってしまった。
  7. 祖国の観念
    人間のすべての精神活動は戦争を当然のこととして扱うようになり、長い戦争の道程のなかでは国家観念や愛国心も生み出されてきた。
  8. 神になる
    この地上のどこででも若者たちは「祖国のために」互いに殺し合い、「祖国のために」死ねば、称えられ、鎮魂の祈りをささげられ、あるいは神となる。
  9. 王のスポーツ
    一方、若者のしつけと削減の方法として採用された「戦争と征服」それ自体は、もともと王の気晴らしのためのスポーツであった。それは、スポーツである野獣狩りからほんの1歩進めた人間狩りであった。
  10. われわれのスポーツ
     だからわれわれの心の中にいる邪悪なスポーツマンも、いかにも嬉しげに戦場を駆けまわり、向こうにいる人間に大砲をうちこみ、彼らを毒ガスの中へ追い込み、掩蓋壕に閉じ込めるのである。
  11. 戦争とスポーツ
    スポーツの問題とスポーツの心理を、好き放題にうごめかしておくことはできない。近代的なスポーツ界の発展を生み出している衝動と動機の多くが、戦争を維持することにおいて働いている衝動や動機としっかりと結びついているからだ。
  12. 戦争放棄
    「人間が戦争放棄を真剣に考えるようになるには、毒ガス,爆弾,宣伝,世界的な破産のはっきりした見通しなどによって戦争からスポーツ的な要素を殺(そ)ぐことが必要であった。」
H.G.ウェルズが訴えたいことは最後の項目であった。イギリス人の彼は米国のセオドール・ルーズヴェルト大統領およびウィルソン大統領に第2次世界大戦が「戦争をなくするための最後の戦争になるよう」懸命に訴えることになる。