2000年 9月20日 木曜日

 聖地としての少年院


   教員刺殺事件は、小学校以来の虐待者から逃れるために少年院に逃げ込もうと考えての犯行だった。殺す相手は誰でもよかった、おとなしい先生を選んだ、ということだ。傷つけられた先生については、忘暮楼も内心では「乱暴な指導をしたんではないか」と想像していた。この先生には申し訳ないことをした。

 東予工業高校の教員刺傷事件は、予想もできない展開を見せている。教員を切りつけた高校生が拘留10日目になって「真実」を語り始めたという。(弁護士はついているのだろうか)

 この報道に接したとき、ほとんどの人は「縁切寺」を想起したのではないだろうか。江戸時代の男性が離婚しようとするときは、妻に「三行半」ってやつを突きつければよかったそうだが、ドメスティック・バイオレンスで苦しめられているほうの女性は「縁切寺」へ走って自分の櫛かなんかを放り込んだ。

 古代ギリシャでは神殿が避難場所であった。ここへ駆け込めば身の安全は保障された。これをアジールと呼んでいる。中世ヨーロッパでは教会がアジールとなっていた。これは教会の特権の象徴でもあった。

 縁切り寺も、神殿も、教会も聖地である。聖地がアジールとなっていたのだ。しかし、近代国家は聖地からアジールとしての機能を剥奪した。(下の『現代用語の基礎知識』の引用を参照されたし)

 アジールはなくなったが、アジールを求める人は絶えなかった。アジールを失った近代人は「自殺」や「夜逃げ」や「蒸発」をその代替物とした。

 一方、ヤクザの世界では刑務所がアジールとなることがあった。敵対勢力から身を守るために、刑務所に入って国家権力の保護を受けるのである。この保護を受けるためにはそれにふさわしいあらたな罪を犯す必要があった。

 脅迫・虐待・隷従からの脱出を願望するおとなしい少年にとって親も学校も警察もアジールにはならなかった。完全なアジールは少年院だけだった。あそこなら脅迫者・虐待者から逃れられる。少年院こそが自分に残された唯一の聖地だ。
 そこで少年は少年院に入る資格を得るために、全く今まで、したこともなければ考えたこともない、もっともこの子らしくない仕事に取り組むことになったわけだ。

 同世代からの脅迫・虐待を受けつづけ隷従を強いられつづけている青少年がここまで追い込まれているとすれば、これらの子どもたちのためにアジールを作ってやるしかない。

  • 24時間物理的な安全が保障されている。
  • 電話等による外部への連絡が保障されている。
  • 外部からの連絡は自由に遮断できる。
  • 個室が保障されている。
  • 本人の出入りは自由である。
  • 入所は無料である。

 などと条件を考えていたら、なんと忘暮楼がもっとも好みそうな環境になってしまった(^^ゞ

 

 

◆アジール(Asyl(独)、 asylum(英))〔西洋史用語〕
もとはギリシャ語で「逮捕を免れる場」の意。その意どおり、神殿・教会・聖所などでは、公権力は犯人を逮捕できず、また報復などの私闘も禁じられていた。ヨーロッパでは中世のあいだ、アジール権が強く尊重され、しばしばその領域も教会領域にまで拡大された。ここから、アジール民というべき特別な身分も生まれた。近代国家はこのアジールの撤廃を通して確立される。同様の事態は、洋の東西を問わず存在するといわれ、日本についても「無縁」や「楽」との相同性が指摘されている。現在でも、子供遊戯の鬼ごっこで、安全地帯を設けることがあるが、一種のアジールの名残りであろう。(『現代用語の基礎知識』より引用)