2000年9月17日 日曜日

死にかた


   「莫」と言う漢字は太陽(日)が草原(廾・廾)に落ちて姿を隠す、というのが原義で、それから「見えない」「ない」と転じたのだが、葬式の「葬」の原義もこれと同じ構造で、「死」(変わり果てた身体)を草原(廾・廾)に埋めて見えなくすることだとある。

 無宗教あるいは無神論の人がその立場を誠実に貫き、しかも死の通過儀礼としての意味も認めないとすると、その死のあとに残された仕事は、自分の姿を消すことだけということになる。

 今日、近代史文庫の篠崎先生がなくなられたとき、遺族が先生の遺言にしたがって葬式をしなかったと聞いた。

 先生は亡くなる二日前に遺言をしたためて、自分の死にまつわるすべての儀式を拒否したそうだ。火葬(燃やすことによって姿を消すこと)だけは認めたが、遺骨・遺灰の回収はさせなかったという。

 遺骨・遺灰は通常でもすべてを回収することはない。かなりの部分を火葬場の処分に委ねているのが現実だが、先生はすべての遺骨・遺灰の処理を火葬場の処理に任せたわけだ。

 遺言に従った遺族も偉かったと思うが、火葬場はびっくりして「遺骨・遺灰の処分についてあとで文句を言わない」旨の念書を取ったそうだ。

 これもひとつの誠実な「葬」であった。けだし、「死にかた」は「生きかた」なのであった。


天気晴れ 
今日の出来事◆藤井利昭先生葬儀。癌。

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