2000年9月14日 木曜日

日本の姿


   戦前と戦後の断絶と連続問題はこれまでにも何度か取り上げてきた。例の亀読で今日やっと戦『戦争と罪責』(野田正彰著)を読み終わったがここでもその問題にぶつかった。

 この本に以前読んだ『聞き書き ある憲兵の記録』(朝日新聞 1985)の著者である土屋芳雄さんの戦争体験が取り上げられていた。土屋さんは、「満州国」を舞台に、特技の水責めなど残酷無比の拷問を武器に、反日勢力の摘発と殲滅に数々の戦果をあげ、関東軍憲兵隊司令官東条英機から感謝状と金一封が贈られ、士官学校出ではないものとしては最高位の曹長に昇進、さらに隊付中尉にまで栄進し、皇軍からは「特高の神様」、中国人からは「拷問魔」と呼ばれた人物である。

 土屋さんは敗戦と同時にソ連軍によって武装解除されソ連に送られて重労働に使役された。1950年には中国へ移され撫順戦犯管理所に入れられた。ここで自分の罪責に気づき人間の感情ををとりもどす。

 土屋さんが1931年から1945年までの14年間で直接・間接(命令など)手を下して「殺した人は328人、逮捕し拷問にかけた人は1917人」に上ったという。土屋さんはこれらの中国人の名前をほとんどすべて覚えていたという。土屋さんは、自分にこういう行為をさせたものの罪責、した自分の罪責をはっきり自覚し、56年に釈放されて以来今日まで、全国各地に足を運んで、日本の人々に自分がしたこと、見たことを語ることによって反戦平和の運動を続けてきた。

 次は『戦争と罪責』の中の一文(p276)である。

 

 罪を自白し、死刑を覚悟し、生きて帰国できないと思っていた土屋さんも、56年7月、起訴猶予で釈放。そして興安丸に乗船して舞鶴港へ帰ってきた。

 だが、返ってきた日本は変わっていなかった。山形上ノ山駅に着くと、4、5百人ほどの人々の出迎えがあった。こっそり家に戻るものとばかり思っていた土屋さんは、林立する「祝帰還」の幟(のぼり)、日の丸の竹竿が眩しかった。

 市長の代理として助役による老をねぎらう挨拶があった。行列を作って家へ帰ってきた。かつて出征したときのように、学校の生徒たちも総出で行列に加わった。

 土屋芳雄さんは、一言お礼の挨拶をした。「関東軍の憲兵として、中国の人々に悪いことをしてきた。心から反省している」と。ところがその後、「あんたの言うこと、分からん」と村人たちに言われた。

 平和になったが、日本は変わっていなかった。格好だけはよくなっていたが、昔とまったく同じだった。変わったのは自分だけだった。

 この状況は今日もそのままだと思う。日本の民主主義は川をさかのぼる船のようなもので、棹を休めると直ちに「天皇の国」「神の国」という名の大海へ引き寄せられ始めるのである。棹さすことのないものにとっては、すなわちそこは「神の国」である。

 日本国憲法は「天皇国家」である海と「共和国家」である山との途中に新設された河岸の港であったのであろうか。


天気雨、夕方止む。期待通りのきれいなが立った。完全な虹で二重虹であった。 
今日の出来事◆今日もいい雨が降った。渇水対策委員会が解散された。やれやれだ。

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