2000年9月9日 土曜日

 「いのちを尊ぶ」でいいのか 
 その3


   東予工業高校の教員刺傷事件の意味を考えたいのだが、このところ頭が回らない。軽い鬱状態のようだ。しきりに眠くて実際よく寝る。1日の半分くらいは眠っているような気がする。

 さて、なぜこんな事件が起きるか、「命を尊ばない」からか。
 たとえば仏教の立場からはそうはならない。そうではなく、人間が苦界に置かれているからだ。自分の思う通りにはならない世界に生きているからだ。この事件の場合、簡単に言えば、怨憎会苦(おんぞうえく)である。

 怨憎(おんぞう)は、ある人物を自分の目の前から消したいという欲望である。にもかかわらずその人物に「会」わないわけにはいかないのがこの世のすがたである。

 昔々よく通っていたスナックでの話。ある客が、私がよほどめざわりだったのであろう、「あいつをこの店に出入りしないようにしてくれたら毎月30万円はもってくるんだが…」とママに持ちかけた人がいた。これもまたこの世の「苦」というわけで、怨憎会苦は人生の根本苦たる八苦に数えられている。

 したがって、ある高校生がある教員に憎しみを持ち、目の前から消し去ることによってリセットしようとするのは、現代に特殊な問題ではなく人間普遍の問題だ、と言えるのである。見たことのない事件であったとしても、特殊な問題ではないのだ。

 ということは、こういう事件を2度と起こさないための方策は「ない」ということだ。そういう認識なしに、県教委から

 
 

1 いのちの尊さについて徹底指導する
2 教師と生徒の心のふれあいを深める
3 生徒の悩みを受けとめる校内体制づくり
4 家庭との連携・協力を見なおす 

 

と、ポンポンポーンと対策が出てくるところに違和感を感じてしまうのだ。この指針には事件の根本にある人間の心の暗闇についての考察がない。子供を取り巻く大人の社会と学校の人間関係のなかに、この心の暗闇の闇を深めるものがあったことは間違いあるまい。

 じゃあどうするんだ。ウーーム。