2000年9月5日 火曜日

 重信の渡し


   
(写真下)職場の先輩に教えられて「重信の渡し」を見に行った。この渡しは、土地の古老の話では、昭和40年代に川口大橋が架けられるまで利用されていたということだ。この道が城下側(垣生側)の渡しにつながる道だ。右に橋があり川面が少し見える。川向こうの右側にエノキが1本見える。この木の下に昔から小さな店があって川本さんという。いかにも河口の家らしい名前だ。この川本家が代々ここの渡し場を運営してきたという。

 (写真下)もと渡しの乗り場あった辺り。向こう岸は松前町である。松前から花嫁が渡し舟にのって嫁入りしてきたそうだ。川を挟んではいるが、人々のつながりは緊密だったようだ。
 松前はもとの城下町。城が松山の今の位置にうつってからも、松前の領民は領内のどこででも漁労ができるという特権を与えられていた。夫たちが獲った魚を松山城下に行商する「おたたさん」もこの渡し舟を利用した。

 
(写真下)向こう岸のヤブの中に松前側の乗り場に続く道があったという。川下の橋は川口大橋の付け替え工事のための仮橋である。 )

 
(写真下)上の写真の渡し場より上流にもう一つ別の渡し場があった。それがこの「出合いの渡し」である。この写真は『松山案内』(明治42年版復刻版 籠正二氏ご提供)に掲載されているもの。鉄橋らしきものが写っているがこれは伊予鉄道郡中線の鉄橋のようである。ということは、この渡し場は「松前側」ということになる。オタタさんたちがこれからお城下へ行商に出かけようとしているところと見える。
 重信川は水を満々と湛えている。職場の先輩の話では、干潮時に川岸に河原が少し顔を出す程度だったという。


天気快晴 
昨日の出来事
今日の出来事◆学期はじめの実力テストの採点と授業で終日よく働いた。職員室の冷房がかなり苦痛になってきた。つかれやすい。