2000年9月1日 金曜日

『戦争と罪責』 その1


   独立政府樹立を目前に控えた東チモールの現況をテレビで見た。

 Iさんは独立支持派。独立反対派に家族を殺され、家を焼かれた。しかし、独立を勝ち取った今は、この怨念を乗り越えて民族の和解を実現しなければならないと考えている。

 インドネシアに逃げ込んでいた独立反対派のDさん。戦争が終結した今、元の村に返ってきた。村人の反発は厳しかったが、Iさんは積極的にDさんを受け入れようとしている。「この国は独立反対派にとっても祖国なんですから……」と言うのである。Iさんは他の村人とともにDさんの家の再建を手伝う。共同の作業を通じて和解を進めたいと考えているのだ。

 Dさんは村人に弁明する。

 

インドネシア軍の兵士だったのだから命令通りに動くよりほかなかった。命令を無視したら殺されていただろう。

と。

 こうして村民とDさんの相互理解も少しずつ進んでいったのだが、警備組織から送られてきた革命反対派のなかの戦争犯罪人のリストにDさんの名前が掲載されていることが判明する。Dさんは、上官の命令にしたがっていただけではなく、自らこの村の独立支持派の殲滅のための計画を練り、指示を降ろしていたというのだ。それを証言する人も現れる。
 Iさんは和解の作業を続けながらも、「信じられなくなっています」と苦しむ。


 ここに、「皇軍将兵の論理」が再生産されつつある。『戦争と罪責』(野田正彰著・岩波書店 1998)のなかに中華民国政府によって処刑された皇軍将兵の遺書(南京攻略の折の「百人斬り」競争の向井・野田両少佐の遺書を含む)が紹介されているが、著者はそれらの遺書に共通して見られる論理を次のようにまとめている。


 自分は日本軍人あるいは軍属として当然のことをしただけで、戦争犯罪は犯していないし、中国人を苦しめていない。だが、戦争に負けた以上、日中平和のために犠牲となって死ぬ。

 軍隊に入れば人間でなくなる、また人間であってはならないのが軍隊だ。戦争というものはそういうものなのだ。 戦争の悲劇の罪責は結局戦争そのものにあるのだ。そういうのである。

 忘暮楼もかってそのように考えていた。だからこそ、もし自分のような人間が当時皇軍のなかにいたら、自らも非道の行為をなしたのではないかと思い、自分を棚にあげて他をあげつらうようなことはできないと感じたりもした。

つづく

天気曇り 
昨日の出来事◆のちほど
今日の出来事◆朝の三尾でモズをはじめて聞く。◆始業式。全教室冷房稼動。涼しい。

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