08年11月08日 土曜日
新浜村から莞島へ
老馬新聞

i新編温泉郡誌(松田椿南編 、大正5)に新浜村(現在は松山市)の漁民が韓国莞島に移住したことが記されていると聞いていたのだが、今日愛媛県立図書館でそれが確認できた。温泉郡の遠洋漁業の項に、まず北条町(現松山市)から大正三年に12人が四隻の漁船に分乗して朝鮮・ウルサン(※蔚山)・チューセイド(※忠清道か)沖合に出漁し手繰り網、釣配縄漁で二千円の漁獲高を上げたことを示したあと次のように記している。新浜から莞島への移住の背景の一端がうかがえる。

(※本郡の遠洋漁業は甚だ振るわない状況だ、との指摘に続いて)
然れども最近私(ひそ)かに以て会心の感あるものは新浜村に於ける遠海出漁なりとす、輙(すなわ)ち仝村漁業組合は夙(つと)に朝鮮近海の漁業に着目し、前後二回組合理事をして其模様を調査せしむると共に、移住漁業の策を立て別に遠洋漁業出漁組合を組織して漁民三十戸の移住を企図し、大正四年九月二十三日先づ其の戸主を挙げて朝鮮全羅南道莞島に送れり、尚未だ探海的漁業に従事せるも 一本釣配縄漁場としては最高の場所にして陸地を離る丶数町の所において、之れを試むるも平均七八貫目の鯛漁あり、一尾百匁以上のものは今日一貫目の価六十五戦ないし七十五銭、其他の雑魚は活間(いかしま?)の狭隘(きょうあい)なると価の廉なるがため放捨しつつありとの報を齎(もた)らせり、出漁者の通信に曰く 此地に於て成功せずんば何処に成功の地を求めん、内地に於て徒(いたず)らに不景気の嘆を洩らさんよりは宜しく此処に来(きた)れ と、残留家族は移住約一年の後ち、渡航せしむる当初の計画なりしが、彼此遠近(ひしえんきん)相応じての懇請により、最近既に家を挙げて移住せしめたり、此れ本郡に於て秩序ある移住漁業の嚆矢(こうし)なり、進取的とは斯くの如きを曰ふなり、猫額大の近海に小利を争ふて齷齪(あくせく)たるもの宜しく以て範とすべきなり