莞島市街西方にある<東望山>の日出公園からの展望。
左手前の学校の運動場の道路を挟んで左側が愛媛県西予市三瓶町二及の人たちが入植した「伊予村」。伊方町三崎や松山市高浜のの人たちが入植したカマグミは、写真右上の赤い橋の左の入り江だ。この写真では入り江の入り口しか見えない。


辺地と思い込んでいたカマグミ(가마구미)部落はなんと宿泊した莞島観光ホテルのすぐ近くだった(ホテルの位置が昔は辺地だったわけだ)。ホテルの前の舗装道路を上がっていくと(確か莞島郡の)総合庁舎がある。庁舎の敷地の下に細い下り道(写真)がある。この道をとぼとぼと下っていくと右の写真の部落に出る。


この部落がカマグミだった。前方の赤い橋が、最初の写真の右奥に見えた赤い橋である。

日本人がここへ入植した当時、現地の住民はこの写真の左奥に見える高台に住んでいたのだそうだ。三千浦の例などから見るとこの部落も入植当時は砂浜だったのかもしれない。


土地の人の話ではここに四、五十人の日本人が住んでいたという。

漁業開拓移民団としてここに入植してきた人たちは鯛の一本釣りで生計を立てていたそうだ。



部落のはずれにある島。入植者が神社を作りそうな位置あるので撮っておいた。機会があればあとで確認してみたい。


カマグミ部落を見下ろした写真である。日本人がいた当時のことを記憶しているお年寄りの女性の家が確か手前の家だと思う。

念のためお年寄りの家の郵便受けの写真を撮っておいた。


カマグミには日本人の家がたくさん建っていたのだが今では残っている日本家屋はこの家一軒くらいになっているようだ。


1945年8月、日本の敗戦を知らされた入植者たちはみな着の身着のまま帰国を急いだ。


家財道具から台所用品まで残された日本人の家屋はその後韓国人が住み込むことになった。
写真中央に見える「해양수산海洋水産」と書かれた碑の向こう側が例の細道の入り口である。


08年11月04日 火曜日
カマグミ部落
老馬新聞