2000年8月6日 日曜日

徐京植さんはこう答えてくれた その2
ドイツの場合など


 

 (続き)ドイツの場合は、例えば、私はドイツを必要以上に美化するつもりはありませんが、根本的な違いは戦争被害者に対する援護法であり、救護法なんです。

 たとえば児童文学で有名なエーリッヒ・ケストナーという人が、ナチスから狙われた人ですけれども、意地を張って戦争中もドイツ国内に留まりました。そうすると、彼の家がドレスデンに対する連合国の爆弾で潰れた。

 まだナチス時代にですね、彼は「俺の原稿を補償してくれ」っていう申請をしてですね、ナチスもそれを支払っています。

 ドイツでは戦争被害者に対する補償なんです。だから、普通の一般人が補償を受けて当然のことなんです。

 その根本的違い。だから今が日帝時代だと言っているんです。明確にこのようなシステムを根本的に変更しない限りは、日帝時代は続いているんです。

 日帝時代が続いているから過去を克服できない。加古を克服しないから、日帝時代が続いている。こう言う関係なんですね。(『日本の目 韓国の目 「在日の目」』松山大学総合研究所編 晴耕雨読社 1998)

 これを読みながら、日本人による韓国・朝鮮(DPRK)あるいはアジアとの間での友好運動の最大の課題は、それらの国々に謝罪し補償しうる政府を作ることだ、という「しんぶん赤旗」ソウル特派員の発言を改めて思い起こしたのだった。
おまけ

ケストナー
小学館大百科事典より引用
Erich K□stner (1899―1974)
ドイツの詩人、小説家、児童文学作家。ドレスデンに生まれ、第一次世界大戦に従軍。戦後、時代を風刺するユーモラスで辛辣(しんらつ)な叙事詩集『腰の上の心臓』(1928)によって文学的な出発をした。この作風は、小説の代表作『ファビアン』(1931)にも引き継がれる。
しかし彼の名を世界的にしたのは、むしろ『エミールと探偵たち』(1928)をはじめとする児童文学作品であった。ドイツの児童文学はケストナーによって一新紀元を画し、国際的な水準に達することになる。
しかし彼の自由主義的な現実暴露、辛辣な風刺はナチスの憎むところとなって、ナチスが政権を獲得した直後の1933年5月に、彼の著書は非ドイツ的という烙印(らくいん)を押されて焚書(ふんしよ)の厄にあい、児童文学の傑作『飛ぶ教室』(1933)を最後に、ドイツでは出版ができなくなった。
亡命しなかったケストナーは、スイスからユーモア小説『雪の中の三人男』(1934)などを刊行して苦難の時代を切り抜け、第二次大戦後は西ドイツのペンクラブ会長となって(1951)活躍しながら、戯曲『独裁者の学校』(1957)、児童文学『ふたりのロッテ』(1949)、『サーカスの小びと』(1963)などを発表して、ふたたび旺盛(おうせい)な創作力をみせた。
〈関 楠生〉
【本】高橋健二訳『ケストナー少年文学全集』全八巻(1962・岩波書店) ▽高橋健二著『ケストナーの生涯』(1982・駸々堂出版) ▽板倉鞆音訳『ケストナァ詩集』(1975・思潮社)(もどる)


天気晴れ・にわか雨 ニガウリ順調に生育中 
昨日の出来事◆米ジャーナリスト、フィリップ・ノビーレさん(58)が「広島の論争--ハリー・トルーマンは戦争犯罪人か」を発表。あちらの58歳もがんばってるなあ。
今日の出来事
◆亡母新盆法要(自宅)無事終了。大いに肩の荷を下ろした。◆金牛亭社長のお琴発表会鑑賞◆三越で引き出物物色

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