2008年5月24日
ライシャワーの
対日政策に関する
覚書(1942/9)
老馬新聞

友人の勧めがあって酒井直樹さんの『希望と憲法』を読んだ。大変に刺激的な内容であった。自分たちがやっていることは即自的っていうか、気持ちでやっているところがあって自分ではなかなかつかめないものだが、この本のおかげで私たちがこれまで取り組んできたことの意義を再確認できたところもあってうれしかった。

この本の巻末に60年安保のあと駐日アメリカ大使となって赴任する日本生まれの米国人学者、ライシャワー(参考サイト)が開戦翌年の1942年9月、米国戦争省に提出した「対日政策についての覚書」が添付されていた。ここには戦後の日本の青写真がみごとに描き出されている。主権在民の今日の日本になにゆえ天皇が君臨しているのか、この文章を読めばよくわかる。また「普通の国」になれとの叫び声が聞こえる一方で日本の政府自身が普通の政府ではないこともこれを読めばわかる。

翻訳者酒井直樹さんの許可は得ていないが、巻末添付文書をOCRにかけて補筆したものをここに掲載する。

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小生が(この覚書を)提出いたしますのは、些末にみえてもじつはきわめて重要な二つの点について注意を喚起したいからであります。この二点とは、アジアにおけるわが国の戦争努力と、特にこの地域で戦争が終結した後の政策目標に密接な関係をもつものであります。軍事的に勝利することは、いかなる戦争の目標達成にとっても必須な前提条件であることはいうまでもありませんが、平和を勝ち取るという、より根本的な問題のなかには、戦争中であっても看過できないものがあります。

日本人は極度に自尊心が敏感で、強度に民族主義的な人民(nationalistic people)であります。戦争に敗北することは、にほんじんのなかに残っている数少ない自由主義者さえ、幻滅に落とし込むであろうことは疑いがありません。戦後の日本を友好的で協力的な国家の仲間に引き戻すためには多くの日本人の協力が必要でありますが、わが国の政策に誠実に協力するような日本人を十分な頭数(sufficient numbers of Japanese)我々の側に転向させることは極度に困難な課題になると思われます。今次の戦争を経験してしまった以上、日本人の善意や協力は何の価値ももたないと多くのアメリカ人は信じているでしょう。しかし、日本の人民の協力なしには、この地域に健全な政治的・経済的状況を作り出すことができないことは、極東を専門的に研究する者にとって、あまりにも明らかなことであります。

戦争終結後、我々の価値体系の側に日本人を転向させるにあたって、大きな困難の一つは、敗北の重荷を転嫁する適当なスケープ・ゴートが存在しないことであります。ドイツとイタリアでは、ナチ党とフアシスト党が、さらに有り難いことにヒトラーとムッソリーニという全体主義体制をひとまとめに象徴してくれる人格が、最も都合の良いスケープ・ゴートの役割を果たしてくれるでありましょう。敗北したドイツ人とイタリア人は、独裁党政権を解体し、現在の指導者を追放することができるでしょう。そして、この政権の解体と指導層の追放という行為を通じて、彼ら自身、すなわち人民ではなく、彼らの邪悪な指導者が悪かったのでそのために敗北したのだと、自分たち自身を納得させることができるはずであります。

日本ではこのように指導者に責務を転嫁することによって、(人民の)面子を救うことはできません。なぜなら、すべての人民が天皇には責任がないことをよく知っているからで、天皇を告発することは国旗を非難すること以上の憂さ晴らしになるとは思えないからであります。日本では現実の指導層はむしろ匿名的な権力使用を常習としており、責任を取らせる政党は存在せず、スケープ・ゴートの役を演じてもらえるような傑出した個人はほとんど見当たりません。偽りの邪悪な指導者の役を演じてもらえる唯一の組織は陸軍でしょうが、いまや全国民が何らかの形で陸軍と軍人崇拝の永い伝統と同化してしまっており、陸軍を責めることで日本人が憂さを晴らせるとは思えないのです。実をいえば、軍事的敗北は軍部独裁制に終止符を打つどころか、軍部独裁制を強化する恐れさえあります。

ドイツとイタリアでは、ナチとフアシストの統治に対する自然な嫌悪を期待できます(それはとても強い感情でしょうから、この嫌悪のおかげで人口の大きな部分が国際連合(the United Nations)に協力する政策の側に支持を切り替えることになるでしょう。これとは対照的に日本では、戦後の勝利に至るこのような容易な方法は可能ではありません。日本では、注意深く計画された戦略を通じて思想戦(ideological battles)を勝ち取ることが我々には期待されるでしよう。当然のことながら、第一歩は、喜んで協力する集団を我々の側に転向させることであります。そのような集団が口本人の少数派しか代表しない場合には、我々 に喜んで協力する集団は、いわば傀儡政権ということになるでしょう。日本は何度も傀儡政府の戦略に訴えてきましたが、たいした成功を収めることはできませんでした。というのも、彼らが用いた傀儡が役不足だったからであります。ところが、日本それ自身が我々の日標に最も適ったか依頼を作り上げてくれております。それは、我々の側に転向させることができるだけでなく、中国での日本の傀儡が常に欠いていた素晴らしい権威の重みをそれ自身が担っております。もちろん、私が言おうとしているのは、日本の天皇のことであります。

わが国おいては、日本の天皇が個人的にいかなる信条をもっているかを知っている者はおりませんが、彼の受けた教育や人生の大部分の時期に付き合った交際関係の点から判断いたしますと、日本の基準からいって、天皇は自由主義者であり内心は平和主義者であると考えてもよい理由があります。天皇を国際連合と協力する政策に転向させることが、彼の臣民を転向させることよりも、ずっと易しいことであるというのは、大いにありそうなことであります。天皇が、おそらく天皇のみが、彼の臣民に影響を与え、彼らに現在の軍部指導層を弾劾するに至らせることができるのであります。もし、天皇が、彼の祖父(明治天皇のこと:訳者)のような真の指導者としての資質をもっていることにでもなれば、我々にとってはますます都合の良いことになります。たとえ、彼の半気違い(half-demented)の父親(大正天皇のこと:訳者)程度の能力さえないこ
とが判明したとしても、それでも、協力と善意の象徴としての彼の価値はきわめて貴重なものであります。

戦後に日本人が(敗戦によって受けるであろう)精神的な傷から回復するために天皇が演じることができる役割は、現在の状況と確実に関係しております。戦争終結の後の思想戦のために、天皇を貴重な同盟者あるいは傀儡として使用可能な状態に温存するためには、現在の戦争によって汚点がつかないように、我は彼を隔離しておかなければならないのであります。換言いたしますと、アメリカの人びとに対して、天皇をアジアにおけるヒトラーやムッソリーニの等価物、あるいは日本版の全体主義を体現する人格であるかのように宣伝することを許してはならないのであります。新聞やラジオで天皇を広く冒涜することは、戦後の世界において我々にとっての彼の利用可能性を容易に損なうことになりかねません。このような政策をとるかぎり、我々 の道具として、天皇に協力したり、あるいは極端な場合には、天皇を受け人れたりする心の準備をアメリカの人びとから奪い取ってしまうことになるでありましょう。当然その結果として、天皇自身と天皇周辺の人びとはわが政府に協力する気持ちが弱まるでありましよう。過去数カ月、裕仁という名前は邪悪な日本の体制を象徴するものとしてかなり使われて参りました。戦後問題を考慮して、政府におかれましては、本邦の報道波及機関に対しまして、裕仁への言及をできるかぎり避けること、むしろ東条あるいは山本、さらには滑稽な神話的人物ミスター・モト──軍服姿で──を現在わが国が戦争状態にある敵国日本の人格的具現として使用するよう、ご指導されるべきかと考える次第であります。

<【ミスター・モトに関する参考サイト】─忘暮楼>

小生が提言させていただきますより重要な第二の点は、アジアにおける抗争の間人種的側面に関わるものであります。日本は国際連合に対する戦争を黄・褐人種の白人種からの解放のための聖戦としようとしております。中国の勇気ある抵抗が、日本がこの種のプロパガンダを過度に利用することを防いでおりますが、日本のプロパガンダはシャムや東南アジアの植民地、そして中国の一部でさえ、ある程度の成功を収めております。中国が戦争から脱落するような事態があった場合は、日本人はアジアにおける闘争を全面的な人種戦争へと変換することが可能であるかもしれません。

日本の主張が誤りであることは、フィリピンと中国でのアメリカの実績をみればもっともよく解ります。にもかかわらず、我々は意図せずに日本の危険なプロパガンダに手を貸してしまっております。<強制収容所収容のために─忘暮楼>日本人を祖先にもつアメリカ市民を米国籍をもたない日本人とともに西海岸から移動させることは、緊急の軍事的配慮からみて、必要な行動であったことは疑いを容れません。しかし、白人種はアジアの人びとを白人と平等とはみなさず、未だになお差別し続けているという見解にアジアの人びとを賛同させようという日本人に、これは強力な論拠を与えることになってしまったのであります。


<【日系アメリカ人強制収容所に関連する参考サイト】─忘暮楼>

現在に至るまで、日本人を祖先にもつアメリカ人は我々の目的にとって負債以外の何物でもありませんでした。一方ではわが国とって人口の移動と軍事的な監視という大きな問題を課し、他方ではアジアの日本人にプロパガンダの切り札を与えてきたのです。この状況を逆転させ、これらのアメリカ市民をアジアにおける思想戦の資産へと変えるべきでありましょう。現時点において、今次の戦争はアジアにおける白人優越主義を温存するための戦争ではなく、人種にかかわらずすべての人間にとってよりよい世界を樹立するための戦争であるということを示すためには、(日系アメリカ人による)合州国に対する誠実で熱意に満ちた支持ほど優れた証拠はありえません。戦争が軍事的に勝利された時点で、これらの日本人を祖先にもつアメリカ市民は日本の人びとの心を挟(こ)じ開ける楔(くさび)の役割を果たすことになるでありましょう。日系アメリカ人が)わが国の側で志願しかつ喜んで戦ったという事実ほど、今次の戦争は、民族としての日本人を破るためのたんなる戦争ではなく、彼らの軍閥が仕掛けた野蛮な企みを撃破して日本を国際協力の価値体系に引き戻すための戦争なのだということの、日本の人びとに対する証左になるでありましょう。

日系アメリカ人を(わが国にとっての)負債ではなく資産にするためには、おそらく多くの方法があるでありましょう。しかし最も有効な方法のなかには、彼らに軍隊に参加することを薦め、政治思想の訓練さらには戦後、軍隊であろうと民間であろうと、必要になるであろう専門技量の訓練を彼らに授けること、が含まれております。もし自分たちが必要とされており、昇進の道が彼らにも開かれていることを知るならば、若い日本人の多くが喜んで志願するであろうことは確実であります。日系アメリカ人と彼らと一緒に任務につくことを欲する他のアメリカ人とを併せて、ヨーロッパおよびアフリカ戦線での戦闘の任務を担う特別志願兵部隊を組織することは難しくはないでありましょう。ヨーロッパおよびアフリカ戦線でなら、特別志願兵部隊は他の部隊と同じ程度に有効でありましょうし、訓練あるいは組織ヒの困難を生じることもないとおもわれます。

戦闘部隊に多数の日系アメリカ人を含めることは、日系アメリカ人社会全体の士気を高め、合州国に対して日系アメリカ人社会の忠誠を確保するための役にたつでありましょう。さらに重要なことは、太平洋の戦争が終わった際にこのような部隊は、我々と我々の軍隊に対する日本の人口の敵意を弱めるための、掛け替えのない資産になる可能性があると思われます。十分な数の日系アメリカ人が、わが国が日本に派遣する占領軍のなかにおり、あるいは日本軍降伏に立ち会う軍隊のなかに含まれていれば、日本人にとっては多少は敗北の辛さが加減され、日本人が戦勝国と協力しやすくなると思われます。十万人の日系アメリカ人、さらに日系アメリカ人軍人が、国際連合の理念に喜びかつ積極的に参与することを、アジアの平和を勝利するた
めのこの偉大な闘争において、例外的な戦略上の有利さへと変換することが可能であるのであります。

1941(昭和16)年914

エドウィン.O ・ライシャワー  極東言語学科教員@ハーバード大学

(酒井直樹訳)


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以 下 原 文-------------------------------------

MEMORANDUM

 

on

 

POLICY TOWARDS JAPAN

 

I should like to present for consideration two small but extremely important points which are closely connected with our war effort in Asia and particularly with our post-war objectives in that area. Military victory is, of course, the essential prerequisite for any war objective, but certain of the more fundamental problems of winning the peace cannot be overlooked in the meantime.

 

The Japanese are an extremely self-conscious and intensely nationalistic people. Military defeat will unquestionably embitter even the few remaining liberals among them. It will be an extremely difficult task after the war to win over to a policy of sincere cooperation with us sufficient numbers of Japanese to bring Japan back into the family of friendly and cooperating nations. Many Americans believe that Japanese good-will and cooperation will be of little significance after this war, but it is all too clear to serious students of the Far East that a healthy political and economic situation can not be created in that area without the participation of the people of Japan.

 

One of the major difficulties in attempting to win the Japanese over to our system after this war will be the absence of suitable scapegoats to bear the onus of defeat. In Germany and Italy the Nazi and Fascist parties, and still more Hitler and Mussolini, the personifications of the whole totalitarian system, make most convenient scapegoats. The defeated Germans and Italians can destroy their dictatorial party government and discard their present leadership and by these very acts convince themselves that not they, the people, but their evil leaders were at fault and were defeated.

 

In Japan no such face-saving repudiation of leadership is possible. That the Emperor is not responsible, all the people know full well, and to repudiate him would be no more satisfactory than to blame the flag. Actual leadership in Japan tends to remain anonymous, there is no party to be blamed, and there are few, if any, prominent individuals who could serve as scapegoats. The army would be the only institution which could be singled out as the false leader and evil genius, but almost the whole nation now is identified with the army in one way or another, and with their long tradition of respect for the military man, the Japanese would derive no satisfaction from attacking their army. In fact, military defeat might well serve to strengthen rather than to overthrow military dictatorship in Japan.

 

In Germany and Italy we can expect to see a natural revulsion against Nazi and Fascist rule, a revulsion so strong that it will carry a large percentage of the population over to a policy of cooperation with the United Nations. In Japan, on the contrary, no such easy road to post-war victory is possible. There we shall have to win our ideological battles by carefully planned strategy. A first step would naturally be to win over to our side a group willing to cooperate. Such a group, if it represented the minority of the Japanese people, would be in a sense a puppet regime. Japan has used the strategem of puppet governments extensively but with no great success because of the inadequacy of the puppets. But Japan itself has created the best possible puppet for our purposes, a puppet who not only could be won over to our side but who would carry with him a tremendous weight of authority, which Japan's puppets in China have always lacked. I mean, of course, the Japanese Emperor.

 

No one in this country is in a position to know what the Japanese Emperor personally believes, but there is good reason to judge from his education and from the associates he has had for the greater part of his life that, as things are measured in Japan, he is a liberal and a man of peace at heart. It is not improbable that he could be won over to a policy of cooperation with the United Nations far more easily than the vast majority of his subjects. He, and possibly, he alone, could influence his people to repudiate their present military leadership. If he proves to have the potentialities of a real leader like his grandfather, so much the better. If he proves to be no more able than his half-demented father, his value as a symbol of cooperation and good will can still be extremely valuable.

 

The possible role of the Japanese Emperor in the post-war rehabilitation of the Japanese mentality has definite bearing upon the present situation. To keep the Emperor available as a valuable ally or puppet in the post-war ideological battle we must keep him unsullied by the present war. In other words, we cannot allow him to be portrayed to the American people as the counterpart of Hitler and Mussolini in Asia or as the personification of the Japanese brand of totalitarianism. General reviling of the Emperor by our press or radio can easily ruin his utility to us in the post-war world. It would make the American people unprepared to cooperate with him or even to accept him as a tool. And naturally it would make the Emperor himself and the men who surround him less ready to cooperate with our government. During the past several months there has been considerable use of the name Hirohito as a symbol of the evil Japanese system. With the post-war problem in mind, it would be highly advisable for the government to induce the news-disseminating organs of this country to avoid reference to the Emperor as far as possible and to use individuals, such as Tojo or Yamamoto or even a mythical toothsome Mr. Moto (in uniform!) as personifications of the Japan we are fighting.

 

The second and more important point I wish to make has to do with the inter-racial aspects of the conflict in Asia. Japan is attempting to make her war against the United Nations into a holy crusade of the yellow and brown peoples for freedom from the white race. China's courageous stand has prevented Japan from exploiting this type of propaganda too much, but it has apparently met with a certain degree of success in Siam and the colonial lands of southeastern Asia and even in a few circles in China. If China were to be forced out of the war, the Japanese might be able to transform the struggle in Asia in reality into a full-scale racial war.

 

The best proof of the falsity of Japanese claims is America's record both in the Philippines and in China. However, on the other side, we have also unwittingly contributed to Japan's dangerous propaganda campaign. The removal from the West Coast of the American citizen of Japanese ancestry along with the Japanese aliens was no doubt a move made necessary by immediate military considerations, but it provided the Japanese with a powerful argument in their attempt to win the Asiatic peoples to the view that the white race is not prepared to recognize them as equals and even now continues to discriminate against them.

 

Up to the present the Americans of Japanese ancestry have been a sheer liability to our cause, on the one hand presenting a major problem of population relocation and military surveillance in this country and on the other hand affording the Japanese in Asia with a trump propaganda card. We should reverse this situation and make of these American citizens a major asset in our ideological war in Asia. Their sincere and enthusiastic support of the United States at this time would be the best possible proof that this is not a racial war to preserve white supremacy in Asia, but a war to establish a better world order for all, regardless of race, and, when the military victory is achieved, these American citizens of Japanese ancestry could serve as an opening wedge into the minds and hearts of the Japanese people. That they had fought willingly and gladly for our side would prove to the Japanese people that this was not simply a war to defeat them as a people, but was a war to crush the wild schemes of their military clique and to win Japan back to a system of international cooperation.

 

There are probably many methods by which the Japanese Americans can be made an asset rather than a liability, but among the most effective methods would be to encourage them to join the armed forces, and to give them training in political thinking and for specialized services, military or civilian, they can render during and after the war. If they knew they were wanted and that opportunities for advancement were open to them, large numbers of young Japanese would certainly be glad to volunteer. A special volunteer unit of Japanese Americans and other Americans who desired to serve with them could easily be formed for combat service in the European or African zones, where it would probably be as effective as any other unit and where it would cause no special disciplinary or organizational difficulties.

 

The inclusion of large numbers of Japanese Americans in combat units would strengthen the morale of the whole Japanese American group and would help to keep it loyal to the United States. More important, when the war in the Pacific is ended, such a unit might prove an invaluable asset in lessening the inevitably animosity of the Japanese populace for us and our troops. If liberal numbers of Japanese Americans were to be among the troops of occupation we may station in Japan or were to be among the units which receive the surrender of the Japanese armies, the bitterness of the defeat would be alleviated slightly and cooperation with the victor nations would seem more possible to the Japanese. The enthusiastic and active participation of 100,000 Japanese Americans and of these Japanese American troops in the cause of the United Nations could be made into a tremendous strategical advantage in the great struggle to win the peace in Asia.

 

 

  Edwin O. Reischauer

  Faculty Instructor in Far Eastern

  Languages

September 14, 1942  Harvard University