2007年8月2日 |
海南新聞 1909(明治42)年 3月9日〜11日 |
1909(明治42)年3月9日
東京電報
●伊藤公の出発 九日発
伊藤統監は村田少将以下を随へ本日大森発大磯に二泊し舞子尾ノ道をて経て道後に向かへり
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雑 報
●統監来県彙報
▲臨時議会 前号所報の如く伊藤統監は愈々来る十四日来県すこと丶と画定したるを以て公が来県の目的地たる道後湯之町に於ては八日正午より臨時町会を開催し公の歓迎及び其他諸般の準備等に就き打合せをなしたる結果先づ出迎には湯ノ町尋常高等小学校、道後尋常小学校、湯渡り尋常小学校の参考生徒全体は道後停車場迄とぢ町長以下町会議員並に在郷軍人等は高浜迄出迎をなすこと丶なりたり
▲旅館の準備 旅館は仝町鮒屋を選定せられたるに依り仝旅館にては此れが準備の為に俄かに七日正午より大工或は畳屋を雇ひ入れて老化の改造畳の表換等をなし殊に公の居間と定められたる一号に合両室の付属品は全部新調すること丶なりて昨今非常の繁忙を極め居れる由なり
▲湯祈祷の当日 公の来遊当日は折柄仝町湯祈祷記念祭の当日成れば予ねての計画通り全町挙つて国旗、幔幕を張るは素より梅の造花、七五三縄、球灯を吊るして満街飾を施す筈なれば殊更公の歓迎に趣意を表するについては別に手段なきも若し公の来県日の遅延する事もあらば改めて国旗幔幕を出だして歓迎の意を表すべしと
1909(明治42)年3月10日
東京電報
●伊藤公の来松期 八日午後発
伊藤公は十三日尾ノ道より淀または駆逐艦に搭乗十四日入松する筈
1909(明治42)年3月11日
●統監府の調査
最近統監府その他において調査したる韓国富力統計によれば左の如し
土地 | 17億6794万8731円 |
家屋及倉庫其他建築物 | 1億1760万円 |
絵画及武術品 | 2622万円 |
家畜其他動物 | 4326万5625円 |
産業 | 1億5千万円 |
水産 | 1億1千万円 |
電気瓦斯及水道馬車 | 1億円 |
船舶 | 270万5千円 |
金銀貨幣及金銀塊 | 787万6千円 |
諸会社銀行事業 | 2022万2500円 |
諸貨物商品 | 1億1911万5225円 |
鉄道電信電車 | 7680万円 |
図書文庫 | 25万円 |
等
今之を我国台湾の富力に比較すれば僅かに二七四九万二三〇〇円を増加せるに過ぎず福岡、兵庫、新潟三県の富力合計に比すれば七千七百五十八万四千九十九円の減少なりといふ