2008年03月19日11:08

イラク戦争も明日で開戦以来丸五年を迎える。

日本は太平洋・日中戦争の失敗から「備えあれば憂いあり」の教訓を導き出し「廃軍・非戦」を国是とした。

しかし米国はベトナム戦争の失敗からなにも学ばなかった。依然として「備えあれば憂いなし」を信じ、究極の「備えあれば憂いなし」戦略としてイラクに対する「予防戦争」を開始した。開戦の口実は軍部の幻想だけだった。そして事態はやはりベトナム戦争と同じ泥沼戦争になった。

この戦争はアメリカ国民、特に出口を渇望する貧しい青年たちに新たな苦難を与えた。その新たな苦難の一つが帰国した兵士達がこうむった精神的な疾患だった。戦闘に参加した兵士たちの8%が帰国後PTSDと呼ばれる戦争後遺症で苦しんでいるという。

報道はされていないが戦闘に巻き込まれたイラクの青年たちも同じような苦しみを味わされているのだろう。

愛媛新聞の前身「海南新聞」を読んでいたら日清戦争の真っ最中、送り返された故郷でPTSDに苦しみ死んでいった兵士の記事があった。紹介しよう。

ーーーーーーーーーーーー

海南新聞
1895(明治28)年1月9日 

●兵卒の憐れなる最後
北宇和郡丸穂村の山本長太郎氏は身、後備砲兵一等卒の軍籍にあるを以て 去る頃(ころ) 後備の召集に応じ軍に従ひて渡韓し、屡々(しばしば)各所の戦争にも従ひたるが 元来神経質の性にて 去年十二月廿五日召集を解除せられ郷里丸穂村に帰りて療養中なりしが病益々重く ついに発狂して毎日毎夜戦争の浮言(うわごと)のみいいつ丶ありし位にて 到底全治の見込みもなかりしが 遂に去月二十八日 溘焉(コウエン)として(=急に)黄泉の旅路に就きたりと

ーーーーー※「丸穂」は現在宇和島市らしいーーーーーーー

少し事情を説明すると、「後備兵」というのは兵士の構成の内「現役兵」「予備兵」に続く軍籍で、すでに結婚し子どもも生まれているものがほとんどだ。
(下のページに関連記事あり)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%B2%A2%E9%81%93%E6%B2%BB

日清戦争は日本と清国の戦争であったが、一方では韓国内の農民革命軍(東学農民革命軍)殲滅の戦いでもあった。同紙が当時の革命軍の全羅道での軍勢を百万人と伝えているように大変大規模な農民運動であった。

日本軍は清国との戦争のために韓国政府の許可もなしに韓国半島を縦断する軍事通信用の電線を架設した。革命軍はこの通信線をしばしば切断して日本軍に抵抗した。この抵抗を排除するために革命軍殲滅作戦が進められた。

この作戦の一翼を担ったのが愛媛県の兵士を多数含んだ大本営直属後備第19大隊だった。この作戦は「賊軍殲滅」を公言する非常に残虐が作戦であった。「殲滅」とは敵兵を一人残らず殺しつくすことだ。上の記事の山本長太郎氏もその残虐な戦闘によって重度のPTSDをわずらったもののようだ。