老馬新聞

2008年03月13日11:30

昨日は磐石のはずの白鵬が安美錦の立会いの瞬間の「突き落とし」でしとめられた。起き上がった白鵬の表情は悔しさでいっぱいだった。

まもは昔は「引き落とし」や「はたきこみ」のような手は、勝てばよい手で、相手のガチンコの気力に対して失礼な気がして、好きでなかった。しかし、最近はこれが相撲の真骨頂だと思うようになったきた。

「勝てばいい」と見えるこれらの決まり手についてのまもの考え方にはこんな変遷があった。

1)最初の考え方は上に書いたとおり。

2)その後テレビである親方がこう説明するのを聞いた。
<こうした勝てばよいという手は、学生相撲から来ている。学生相撲はトーナメント制だからどうしても勝つことが優先される。そんな癖のついた大学卒の力士が大多数を占めるようになったのがはたきこみ増大の背景にある>
というのである。これを聞いて、まもは、そうか、学生相撲出身者の増大が相撲を面白くなくしたのか、と得心したのである。

3)それから数年たってまた別の親方がこう語った。
<「はたきこみ」について批判が多いが、これは「はたきこみ」をするほうではなく、「はたきこみ」に落とされるほうが悪い。
昔は、倒されては立ち上がりぶつかる、又倒されてはぶつかる、こういったぶつかり稽古をとことんやった。そうしているとどんな状況にでも体が対応するようになる。そうやって「はたきこみ」に落とされない力を身に付けていく。ところが、昨今の稽古はここまでやらない。それで「はたきこみ」のような手が闊歩するのだ。>
というのだった。まもも昔は何年かに一度は地方巡業の相撲をみることがあった。固い土の上で竹刀で殴られながらぼろ雑巾のようになるまでぶつかりを続ける若い力士の姿は痛々しいものだったが、そういった狙いをもったけいこだったのだ。
そうか、「はたきこみ」や「突き落とし」は落ちるほうが悪いのか。まもはまた得心した。

4)このごろ相撲というのはなんなのだろうか、とよく考える。すもうとボクシングの違いは、相手とのさまざまな肉体的接触が、相手にダメージを与えることを目的としているか、いないかというところだと思う。鍛え上げた体をお互い傷つけることなく勝負が進行していくのが相撲の理想である。

では相撲における肉体的接触(押す、突く、張る、投げる、引く、抱える、吊るなど)の目的は何か。思い出すのは映画『しこふんじゃった』の冒頭の大学での講義の場面で朗読されるジャンコクトーの文章。うろ覚えだがたしか相撲の本質を<バランス>だと言っていたと記憶する。私もそうだと思う。上に挙げた肉体的接触の目的はひとえに<自分のバランスを維持しつつ、相手のバランスを崩す>というところにあるように思われる。バランスを失った力士はすべてのパワーを失う。

朝青竜の強さは、土俵に根が張ったようなバランスのよさである。安定した自分の体をてこの支点にして相手のバランスを崩ししとめるのである。そして、「突き落とし」や「はたきこみ」もこういった意味でもっとも相撲らしい決まりてだと思うのである。

白鵬は奇襲に負けたともいえるが、相撲に負けたとも言えるのだ。