2000年8月3日 木曜日

大日本帝国


   1995年、皇軍の無条件降伏から50年目の年に当って、この年を「終戦50周年」と呼ぶべきか、「敗戦50周年」と呼ぶべきかがずいぶん議論された。

 「終戦50周年」の方は、無条件降伏という歴史的事実を軽く扱い、「終戦」が「開戦」と同様に天皇の決断(ご聖断ってやつだ)によるものである点を強調していた。「敗戦50周年」の方は戦後の悲惨な生活に焦点を合わせている感じがあった。

 この二つはずいぶん違っているようでいて、その実どちらも「1931年から1945年までのアジア・太平洋戦争」だけを視野に置いている点では一致していた。

 しかし、私には、これはなーんか変だなあ、という感じがあった。1945年以前と以後の最大の違いは戦争か平和かではないと思うからだ。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の後にも「戦後」があった。しかしこれらの「戦後」と「1945年以降の戦後」は、勝利の戦後か敗北の戦後か以上の決定的な差がある。それは大日本帝国の継続かその崩壊かということである。

 1945年を境にして日本は台湾・朝鮮という植民地を失った。満州での権益を失った。絶対権力者としての天皇を失った。皇軍を失い、教育勅語を失い、徴兵制をうしない、治安維持法を失った。つまり日本帝国が崩壊した。

 戦後政治を生んだものは戦争の終結というよりは、皇軍の無条件降伏が引き金となって引き起こされた大日本帝国の崩壊であった。「終戦記念日」とか「敗戦記念日」とかいった言い方はこの事実に目を向けさせないのであった。

 でも、大日本帝国は戦後の日本にしっかりと「保存」されている。今日に至っても日本の政治・文化の不動の大黒柱は「天皇護持」である。8月2日付朝日新聞に一橋大学教授鵜飼哲さんが「保存のための忘却」という表現でこのあたりの事情を分析しておられる。

 戦後東アジアの国々は「民国」あるいは「共和国」として自国の体制を規定した。日本は国民主権を宣しながら「日本帝国」の「帝」を抜いただけで「民国」とも「共和国」とも称しなかった。

「このことが帝国の記憶を潜在させることになった。もともと記憶と忘却は単純な対立ではない。記憶は保存、忘却は抹消だと思いがちだが、むしろ保存するためにとりあえず忘却することがある。原型保存するための当面抹消。つまり日本国を提示することで、大日本帝国が保存処理された。」
 戦時中から今日まで絶えることなく建立されつづける皇軍戦没者の墓標(軍人墓)を各地に訪れながら思うことはこの「忘却」と「保存」の問題である。

天気曇り 
昨日の出来事◆英二君も名古屋から一周忌にきてくれるとのこと。◆厚生大臣雪印20工場(そのうち10工場は8月末に再開。生産量は前年同月の15%)に安全宣言。◆南北京義線復旧上の問題点@断絶区間(20km)の復旧だけでも約150億円。A順調に進んでも3年かかる。B朝鮮(DPRK)部分は単線で、傷みがはげしいため時速40kmでしか走れない。朝鮮(DPRK)部分の複線化を図るとなるとさらに膨大な費用が必要。
今日の出来事◆昨日の酒が効きすぎ。14:00まで寝た。◆伊豆諸島終日地震。式根島では震度5強も。◆韓国領事館領事に朝鮮学校関係者との懇談の日程を照会。◆朝鮮学校関係者に右日程を連絡。日程を調整して明日回答とのこと。◆サエ子さんから電話あり。

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