老馬新聞

2008年02月27日20:16

細君が入院中のこと、隣のベッドの奥さんが「息子さん、よくお見舞いに来られますね」と声をかけてくれたそうだ。病院の近くで店をやっている次男が時々顔をだすので「はいはい、ちょくちょくきてくれます」と挨拶をしたのだが、

・・・そのうち細君は、洗濯物の世話やなにやかや訪れるまもが病室から出たあと「息子さん、よくお見舞いに来られますね」といわれることに気がついた。まもが細君の息子だったわけだ。念のために言っておくと、隣の奥さんは認知症ではない、普通の外科の患者である。そして、こんなことが実は以前細君が別の病気で入院したときにもあったことも思い出した。

「社会我」の続きである。

細君が同年輩に比べて特別老けているわけではない。夫がいうのもおかしいが、かえって少しばかり若く見えるほうかもしれない。一方まもは白髪頭で、白髪のあごひげを生やして年寄りらしくしている。それなのになぜこのように変な「社会我」が出現するのか。

細君はまもがいつもラフな恰好でいるからではないかという。そうかもしれない。しかし、結局は、それも含めて顔つきや挙動に加齢に応じた年輪が刻まれていない、つまり年相応の「貫禄」というものがないということだろう。精神同様姿恰好も子どもっぽいのだ。

広辞苑には「貫禄:身に備わる威厳、重み」とあった。そうそう此れがないのだ。要するに軽薄に生きてきたし、生きているということだろう。まあ、この年になっては今更どうすることもできないことではある。