2007年6月4日
魚島訪問 1
老馬新聞

明治時代から終戦まで、政府・都道府県の軍事的、経済的な政策のもと、多数の日本漁師は韓国沿岸(韓海)で漁撈に従事していた。愛媛県からもたとえば大正3年には240隻の漁船で1,409人の漁師が韓海に出漁していたのだが、そのうち、77隻、660人が魚島の漁民だった。魚島は韓海通漁のメッカであった。今回はじめて魚島を訪問した。

今治港から高速船を利用し、弓削島まで北上、弓削港で船を乗り換えて魚島まで南下するという逆Vルートである。
今治と弓削を結ぶ高速艇第二ちどり号。
関連地図(クリックで大きくなります)
このように魚島もちゃんと記載せられている地図は案外少ない。
岩城村(「いわぎ」とにごるのだそうだ)、生名村(いきな)、弓削村(ゆげ)、魚島村の四村が合併して上島町となった。観光案内ではもとの四つの村を「上島町の四兄弟」と称している。
今治から60分の航海で弓削港に到着。
魚島行きの快速艇に乗り込む。乗組員はさっそく弓削から先の島(豊島、高井神島、魚島)へ届ける郵便物の区分作業を始める。
快速艇だけあって航海は快適、弓削島を後にして疾走する。魚島行きのフェリーはないので車の移動は出来ない
魚島全景
高井神島港から魚島を望見
途中西側に煙突の見える島を「発見」。住友別子銅山精錬所の煙害が余りにもひどくここへ精錬所を移動したがかえって煙害を広めてしまったと云う歴史をもつ四阪島である。今はほぼ無人島である。
地図で確認すると、四阪島は今治港と魚島のほぼ中間にあることがわかる。
魚島港である。中央がもとの魚島村役場、現在は上島町魚島総合支所となっている。島全体で280世帯。小学生は二人、中学生は三人、先生は七人と記憶する。
あとで総合支所の資料室で見せてもらった1981(昭和56)年当時の魚島の写真。この頃は山は畑として耕されていた。今では農業は捨てられ山は「二次林」となっている。
一方港は活気が感じられる。定置網が中心のようだ。もう少しすると定置網を外す時機になるそうだ。左奥のアパートは一階が警察派出所となっており、日本一安全なアパートだと教えられた。
ここが魚島総合支所である。
その隣が郵便局と魚島観光センター。2年前にリニューアルしたそうで島唯一の宿泊施設である。一階がレストラン、二階以上が宿泊施設である。ここを今治出身の男性が一人で運営している。弓削の「よし正」の支店のようだ。

一泊二食で6300円だが、折角だから奮発して夕食を会席にした。8400円/10500円/12600円/15750円とあるので一寸見栄を張って10500円で予約しようとしたら、「そうは変りませんから8400円にしませんか」とのご案内であった。
なるほどタラふくのご馳走であった。食べきれない。

案内サイト