2007年7月20日
海南新聞
1909(明治42)年
3月9日

1909(明治42)年3月9日
東京電報
伊藤統監来県 八日発
伊藤統監には
十一日大磯伊予道後温泉暫時静養すると決せり
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雑 報
●伊藤統監来遊
(愈決定す)
伊藤公来たらん とは本字が前号に於て読者に伝へたる所なるが其の予想説は果して事実となり公には別項東電の如く愈々十一日頃大磯出発十三四日頃当地に着し直ちに道後温泉に入浴当分静養せらる丶こと丶なれり今古谷統監秘書官より安藤知事に寄席たる電報によりて其の予定を報ぜんに
目的地は道後 中国よりの乗船地は尾の道なるや宇品なるや未定なりとの電報あり 之を以て見ても伊藤公今回の来遊は前年の如く宮島見物等の序手にあらずして全く道後を唯一の目的地として来遊せらる丶おのと察せらるる公が前年道後入湯の際道後松山が余程気に入りたりとは屡々耳にしたる処なるが今回の来遊を以てその実際を知るべし
随行員其他 統監の随行員は例の村田少将、古谷秘書官、小山技師、属官一名、雇一名、韓国憲兵二名にしてあるいは其他にも看護婦等の随行あるべしと
旅館は鮒屋 右一行に対する旅館は道後鮒屋を選定して既に準備せられる丶あり
統監の滞在期間 は未定なれ共当分滞在せらるばしと電報ありたれば察するに一週間より短からず三週間より長からざる範囲なるべしか
大三島行 右電報の最後に統監は滞在中或は大三島大山祇神社に参拝せるるべし」との付記あり聞くが如くんば伊藤総監は越智氏の嫡出にして其の系統を正せば元来伊予の人なるよしさすれば因縁も深く由緒も正しきを以て今回の来遊期中必ず大三島行も実行さるべしと察せらる大山祇の神官は越智姓にて前年越智同姓会の発起もあり又神社の国宝陳列所建設の計画等もある由なれば旁々此機を利用して伊藤公と越智姓との関係を厚ふし兼ねて大山祇神社の発展を計り公に其の助力を仰ぐも亦当然の因縁といふべきなり
▲歓迎諸準備 右の電報が知事官邸に入りたるは七日の午後にして知事は直ちに脇田警察長、黒田警視等と会見し警護、衛生に関する打合せを為し又翌八日は官辺の打合せは固より永井市長、大寺道温泉郡長、逸見三津町長、篠原道後町長、三新聞記者等を官邸に招きて協議せるが松山市及び温泉、伊予郡に於ては民間の有志連合して歓迎会を開かんとする哉の計画もある由なり



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