2007年5月22日
海南新聞
1909(明治42)年
2月28日~日
老馬新聞

1909(明治42)年2月28日 

●韓国の大飢饉 ▲餓死旦夕に迫る▲
韓国咸鏡南道 咸與道の北方なる文川郡一帯の地方は昨秋大洪水の惨禍を受けて 田畑の損害非常に多く収穫高も八割五分の減少を来し 村民は当時何れも家具を舟筏に乗せ山麓に避難して交通の途絶一週間に及びたるば 爾来海岸に近き村民は牡蠣雑魚などを漁りて常徳方面に出で米粟と交換して辛く命を繋ぎ居れるも海辺を去ること遠き山間に避難したる者は僅かに草の根を採り 楢の実を拾ひて其日の飢を凌ぐ物から 此頃にては男女共に食物不足の為め運動も自由ならず室内に起臥するのみにて 唯だ餓死の迫るを待つと云ふ有様なるが 是等の惨況にあるもの役三百戸にて 今日までは一人の餓死者を出ださざれど 雪解け期に入るに従ひ困難は一層加はりて多数の餓死者を出すこと火を見るより明きらかなればとて 元山在住の我赤十字社支部、愛国婦人会委員部その他有志者等救恤金を募集して之が応急の小策を弄せず講じ居れるが 昨秋の大洪水は同地に於て四十年来見し事なしと云ふ
1909(明治42)年2月27
●伊藤統監と宋秉畯氏(参考サイト)の辞表提出は時恰も伊藤統監の帰朝に際したるを以て之を聴許すとせば後任の選定は勿論次官連中にも更迭を行なはざるべからざる事情あり 事重大問題に属して容易に統監の帰朝を許さず 又宋氏を其儘韓国に置かば 如何なる珍事を惹起せずとも限られざるにより 統監は差当り宋氏を宥めて同伴せし次第なるも 宋氏は最早統監の頼むべからざるを覚悟し 渡来怱々門司に於て統監政治の失態を暴露し 放縦不羈態度を示せると始めとして 光焰万丈中中当るべからざるものあり 統監も宋氏の始末に付き目下頗る苦心中なりと聞く