2007年5月13日
海南新聞
1909(明治42)年
2月2日〜日
老馬新聞

1909(明治42)年2月2日 
●韓皇の義州行幸 廿九日午後発
韓皇は本日義州に赴かせられ各奉迎頗る盛なり 統監以下の歓迎会ありて排日熱漸く融和せんとす

1909(明治42)年2月3日
●伊藤統監帰朝
伊藤統監は畏き辺の御召により二月三日韓皇還幸後政務の処理を行ひ遅くも同十日迄には帰朝し大磯滄浪閣に入り数日間休養の上十五日頃入京する筈なりと

1909(明治42)年2月6日
●日韓新航路の計画
韓国元山商業会議にては同地と敦賀門司間に一ヶ月二回の新航路を開始せんことを希望し過般全国商業会議所会議に建議書を提出したるも時機遅れて遂に同会議の議事に上らざりしが今回更にtるが、伏木両商業会議所の賛成を得て同航路の開始運動中なりといふ

1909(明治42)年2月6日
●伊藤統監御召
日高秩父両氏の渡韓は伊藤統監へ対する畏き辺の御使にて統監は厳冬の候南北両韓地方御巡幸に扈従したるの労を思し召され当分帰国して静養すべしとの有難き御諚を伝ふる為なるやに漏れ承る 統監此の優渥なる音名を拝せば 来る十一二日頃京城を発し帰京の途に就くべしと 


1909(明治42)年2月13日
●対韓方針一変
伊藤統監今回の帰京は韓皇南北両地方と巡狩の結果愈々同国の当地方針に変革を加ふる必要生ぜりを以て 其の重要務の為と内地の或る問題の為なり 来る四月まで滞京の予定なりと