2007年月日
海南新聞
1909(明治42)年
1月20日
老馬新聞

1909(明治42)年1月20日 

其日草紙
森 松 嶺
秋山少将を訪うて帰松中の所感を聞く、将軍の曰く「松山は小さいねー、東京も大きくはないが」と(以下略)
●将軍は嘗て北満に駐屯せしことあるを以て、話頭を転じて袁世凱のことに及ぶ。(以下略)
●友あり韓国より帰る、曰く「韓国に於る日本官吏は甚だ韓国化して、近来は賄賂も取れば乱暴も遣るよ、月給三十円の巡査が郷里へ五十円づ丶送金して居るは不思議でないか、軍人などは韓人の物をロハで挑発する者が多く、地方官吏中には韓人とグルに成て不正を収斂して居る者も少なくない、所謂暴徒の中には頑迷不霊の徒の多いは云ふ迄もないが、必ずしも皆が皆さいではなk、暴徒々々と称せられて居るもの丶中には、日本人の不信不義背徳汚行に憤慨して起ったものも少なくないのである。
又曰く『目下京城に於て位置を求めて居る日本人約五百人あり、従来統監府の官吏中判任官は一割二分の手当なりしも、本年より八分に減ずることになりたり、規則も何も無い所とて勝手な事を遣り次第なり、統監府政治の失敗に終るなくんば幸なり』云々