寝心地よし。ただし、二泊三日万年床だった。
はるさんに借りたライディングウェア。こういうのを着るとやはり少しは安心な気分になる。
床の間とテレビ。
窓から外をのぞく。)
たちばな旅館の玄関。
スーパーとパン屋の間の道を入るとたちばな旅館。
たちばな旅館の駐車場。
ホンダスティード600。まだ体になじんでないがなかなかいいなあ。
この道の奥にたちばな旅館がある。これから朝の散歩に出掛ける。糖尿病患者のお仕事である。
港を出る漁船。今六時過ぎ。
三崎漁港。
別府行きと佐賀関行きのフェリーが出ている。
伊方町の風力発電用の風車はおびただしい数だ。三崎港から先にも相当数の風車がある。佐田岬の風車は全部完成すると60基になるという。ちょっと異様な光景だ。
正面に天然記念物の「あこう」の木が茂っている。
井戸のあとらしい。
いまは水が出ないが大切に保存してある。
山道にはいる。
たくさんの五輪塔が並んでいる。
道路工事の際おびただしい数の五輪塔が出土したのだそうだ。誰が建てたものか今のところ不明だという。
なぞに満ちている五輪塔。どんな歴史が隠されているのか。
「五輪塔群墓地公園」として整備するとき大きな五輪塔を中央に据えた。
「墓地公園」あたりから三崎町を見下ろす。
先ほどの「あこう」の木を山の方から見る。
こういう細い坂道がたくさんある。
この墓地のお墓は殆んどが西向きに立てられている。
浄土に向かっているのか、それとも九州に向かっているのか。
九州に向かっているのであればこの地域の先祖の出自を思わせるが・・・
1基南を向いているお墓もあった。
「あこう」の木の下の道を下る。
あこうの巨木
倉庫の屋根にあこうの実が転がっている。
三崎小中学校
公民館。午後ここの図書室をお邪魔する予定。
合併前の三崎町役場。今は支所。
ちょっと未練がましい感じもあるが、こういうものはこういうふうにちゃんと建てておきたい。
三崎町の東側の山々。山腹に三崎高校が見える。
小中学校、公民館、支所、体育館などを北側からみる。
大好きな墓地に入った。これは日露戦争の戦没者。
日露戦争は「明治28年29年戦役」と呼ばれることが多い。
土居城址の見張り櫓のあった所との説がある「高神様」。
太平洋戦争戦没者の墓碑が続く。
太平洋戦争では漁村の青年たちがたくさん参戦し戦死した。
この墓地は伝宗寺の墓地だった。
幹廻り8.7メートル樹高14.7メートルの大クス。純友配下の落ち武者がこの地に落ち延びてきたときすでにこのクスノキが「大きく枝を張っていた」そうで、樹齢1000年と言われている。
クスに寄生しているマンリョウ。
伝宗寺の寺門
たしかに立派なクスである。
とっくに廃刊された「新愛媛」新聞の広告が残っていた。
狭い場所を上手につかって美しい暮らしを楽しんでいるようだ。
もとのスーパーとパン屋さんに戻った。右折すればたちばな旅館である。朝食をいただこう。
2007年5月16日
三崎町朝の散歩
老馬新聞

5月16日朝、三崎町を散歩した。