2007年5月3日
朝鮮「沿岸の漁村」
老馬新聞

愛媛県で発行されていた海南新聞の主筆、塩崎誓月氏が明治39年に著わした「最新之韓半島」のなかに「(7)沿岸の漁村」と題する小文があった。当時の日本人漁業者の状況がわかるので書写しておく。


(7)沿岸の漁村
▲島嶼の開拓  朝鮮沿岸到る処 我が出稼ぎ漁業の熾んなるは実に対韓経営の一大発展とも云ふべく、其の直接及び間接の利益は莫大無辺のものである、彼等の或るものは年々故国へ帰り海上徒らに往復するの不利を覚り 沿岸の或地点=多くは島嶼=に拠りて 不完全乍らも住むべき家を建て 遂には妻子眷属をも伴ひて此処に三々五々漁村を造り 一個の新日本を形造らんとして来たのである、此の趨勢は何十年かの後必ず特記さる丶時代が来るであらうと信ずる、現今其の移住の盛んなる島嶼は 群山沖の竹島が第一で其の漁期には二千人の日本漁夫来り 且つ年中常住するものも少なくないそうだ 次は木浦の沖の済州島 馬山海頭の巨済島 釜山の先の海南島を始め 蔚山沿岸から江原道、咸鏡道沿岸に至る迄日本人の漁村を形造らぬ所はない、其の最も盛んなるは 勿論西海岸殊に三南
(忠清、慶尚、全羅)の沿岸である。尚ほ近来は西北鎮南浦沖や安東県付近迄膨張せんとする形勢があるやうだ。
▲単独者と妻帯者 沿岸漁村の開拓者はぜひ妻帯者で無ければならぬ、単独者では所詮成功せぬ。之れ朝鮮辺へ迄来て一稼ぎしやうと云ふ程のものは大抵身体強壮で意気が壮んだ、其の壮んなる丈其れ丈身持ちを慎まぬものが多い、儲かれば儲かる程随つて使ひ 儲からねば儲からぬで自暴を起して使ふ、どちらにしても立ち行かぬ話だ、遂には可惜男の腕を持ちながら失敗するか良からぬ方へ落ちて了ふ、嘆ずべきの至りだ、之に反して妻帯者は万事秩序的に経営し而も金儲けは比較的良いのだから必ず成功する様だ。
▲漁業兼農業 漁業開拓者は妻帯者に限るとして此等の家族は唯漁業に依りてのみ衣食するかと云へば左様ではない 漁業の閑な時分=必ずしも閑で無くとも=妻子は近傍の畝を耕し野菜を植ゑ 自家の副食物を得るのみならず 余剰あれば魚同様 之を舟に積み開港場に至りて販売するのだ、故に漁村は二様の利益を得て 其の家族生活には毫も差支ゑざるのみならず年々所得を増加し行くべき望みがある。
▲詩的生涯 之を詩的に解釈すれば 実に無趣味の生活なれど之を理想的に観察すれば 漁村の開拓は実に詩的生活である、妻子眷属相扶け 一家団欒して幸福なる日を送り 海風の濤々として絶へざる浜に浴を執るべく 運動もすべく 以て心身の健康を保ちなば噫吁天下又何処に斯かる楽園あらんやだ、且つ新天地に社会煩累無きは開拓者をして一層自由ならしむることであらう。
▲錦江の爆薬漁(爆薬漁の自慢話ー此の項略)