2007年月日
海南新聞
明治42年
1月9日〜12日
老馬新聞

1909(明治42)年1月9日
●韓皇の地方行幸
韓皇陛下には伊藤統監の奏上により 民情御視察の為め七日京城御発輦 大邱及び釜山に各御一泊、馬山にも立寄られ御帰路大邱及び水原に各御一泊の上十三日還幸相成る筈なりと
(写真は左が、1907年韓国の外交権奪還を企てたことで伊藤統監によって退位させられた高宗、1895年日本の三浦公使によって暗殺された閔妃は高宗の妃、右帝位を継承した純宗)

1909(明治42)年1月12日
●陛下の御満足
韓国皇帝陛下今回の御盛挙に就ては 我が 天皇陛下に於ても御深厚なる御敬愛を以て 特に未曾有なる第一第二の両艦隊を回航せしめ 其の奉送迎の大任を命ぜさせられたるが破天荒の城外大巡幸の御事なればとて 最初は上下共多少の顧慮を有したりしも 愈御実行後は益々御気色麗しく 皇帝は我が旗艦に乗御操練まで御覧相成り殊の外御満足の旨伊藤統監より更に我が 天皇陛下へ電奏したるに 陛下には一層天顔麗しくあらせられたりとか洩れ承りぬ

1909(明治42)年1月12日
●韓国皇帝陛下今回破天荒の御巡幸に就き我が天皇陛下には左の如く御親厚なる御電報を韓帝陛下に贈らせられたり
▲御親電
朕貴皇帝陛下が此の寒天に際し民情視察の為南韓地方に行幸あるろ 朕は統監の奏報に依り承知せり 朕は此の盛挙に対し敬意を表する為 朕が艦隊に命じて釜山に回航せしむ 若し会場平穏にして風はの憂なくば 港内に於て旗艦に臨幸を辱うせば最も幸甚なり 茲に遥に 朕は敬愛の意を表す
▲韓帝御答電
大日本帝国 皇帝陛下今回朕が地方を巡幸するに際し 意外にも 陛下の深厚なる御親電に接し 且命じて貴艦隊を派遣せらる極めて衷心榮感とす 又深切なる 陛下の意を奉服し 明日天候の如何に拘らず自ら貴艦
に臨まんとす 此の巡幸に当り貴統監は寒威を顧みず朕の為保護至らざるなきは感謝に堪へざる所 朕は茲に遥かに陛下の御健康を祝す