2007年月日
海南新聞
明治42年
1月1日~7日
老馬新聞

1909(明治42)年1月1日
韓国小品 京城 清家榮三郎
「事業家」

K- 氏の話。
十二月も暮近くの事でした。私は朝から気分が勝れないで、何を為るともなくごろごろして居たが、韓国特有な灰色の雲が低く垂れ重つて、日射がドンヨリして来ると頭を圧付けられるよやうな心地になつて、とうとう部屋を飛出した。
其の頃、私は咸鏡北道に植林事業を始めかけて居たので、もう十一月の声を聞く頃から、避寒かたがた京城へ出て来て、その道の人と往来もし、事業上の計画にも奔走して居ました。で、その関係から態と家は持たず、下宿生活をやつて居たので、こんな時には必ず同宿の友人を訪ねる例でした。
(中略 韓国と関係のない採り止めもない話)
砧が冴へて、霜の夜は静かに闌けた。線路を軋る電車の音もそれほど耳には立たなかつた。

 

1909(明治42)年1月5日
秋山少将の講話 松山同郷会幹事 野本吉三郎記
(前略)今や我国は世界の強国の班に列すと雖も 数千年来砕礪せし愛国心に依り漸く国を維持するに過ぎず 諸般の文明進歩発達の程度欧米諸国に及ばざる遠しとす 殊に亜細亜諸国中完全に其独立を維持するものは我日東帝国あるに過ぎず此の至難の状況にありて今後益々世界の諸強国の競争に従事するは男児一世の快事ならずや 然れども吾人の責務は益々重大となり其奮励努力を要すること往時に蓓蓰するに至れり 是れ余が微力を尽して後進青年の発達を切に奨励する所以なり
 現時の状態に於て特に必要なるものは協同一致の精神を拡張するにあり 諸般の業務は悉く必要の程度に応じて進歩せしむることは経世上避けんと欲して避く可からざるものとす 要するに吾同郷人士は協同の精神乏しきが為め 郷友間に屡々無用の争議を為し 徒らに貴重の時日と金銭とを浪費し却て郷国の進歩発達を妨げし例少しとせず 吾同郷後進の輩は宜しく眼界を遠大にし何れの職業を問はず協力一致 互に之を助成して既往に於ける失態を再びする勿らんことを切に祈るところなり ((完))

1909(明治42)年1月7日
●間島問題譲歩
日清の交渉は愈去月廿八日より開始せられたるも当日は単に双方の挨拶位に止まり 次回より本題に入る由なるが 帝国政府は交渉案件の一たる間島問題に関し同問題が日清両国紛争の種となり徒らに清国官民の感情を害し而かも帝国に於て多く益する所なきより 今回は譲歩の意を以て交渉を開始する筈なれば 帝国政府は間島に於ける清国政府の領土権を認むると同時に 同地在住韓民の保護並にある種の特権獲得に就て清国政府の承諾を求むべしとの説あり
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http://ww1.m78.com/sib/kanto%20shuppei.html