2007年月日
海南新聞
明治41年
12月13日〜20日
老馬新聞

1908(明治41)年12月13日
東拓重役の決定
(東洋拓殖会社役員の予想記事 長文なれど省略)


1908(明治41)年12月15日
遠海出漁聯合会評議会
本県遠海出漁団体聯合会にては来年一月廿日を以て本県庁内に評議員会を開会し韓国及関東州に数ヶ所の漁業根拠地を作る事 其他会の活動上に付協議を為す筈  因みに右根拠地は目下役員赤松泰苞氏渡韓して土地買収の手続き中なるが根拠地にして愈々作成の暁には愛媛村と称し衛生及教育の機関も作り移住者をして遺憾なからしむる見込みなりと 


1908(明治41)年12月20日
●宇佐川中将の韓国拓殖談
東洋拓殖会社総裁宇佐川中将が同会社経営の方針につき語る所左の如し
▲拓殖会社の目的 
第一、本会社第一の目的は韓国の富源を開発して韓国人経済の独立を助長するにありて 単に日本人の利益を扶植せんとの主意にあらざる事は殊に注意すべき要点なり 
第二、は平和的経済発展の為め殊に必要なるは日韓人相互の融和親愛にあり 多数の日本人中には朝鮮に於て如何はしき行動を為すものなきにしもあらざるも 同時に朝鮮人の猜疑心殊に恩に狎れ易き短所等 是亦非常に注意を要すべし 本来日韓両国人の関係は豊臣、徳川二時代を除くの外両国民は極めて親密融和の関係ありしなればなり
▲も一つに韓国富源の道を開拓し 韓国人経済力独立の扶植を為す目的に向かひ 両国民の融和を図るには 我国より移住せしむべき移民に就いては最とも之れを精選し所謂模範的移住者たらしむるの必要あらん
▲会社事業の順序 世間既に会社事業の順序確定せるが如く云ふものあるも 会社はいまだ第一の総会もなく 亦総裁以下役員の任命も未定なれば従つて其事業の順序は之れより確定すべきはずなり

 左りながら何人か局にあるも
第一 荒蕪地拓開の為め 堤防河川の築造 韓概等は 容易ならざる事業にて僅少の資本もて其目的を達すべくもあらず
第二 会社事業としての交通機関に関しては目下朝鮮には文明的交通機関として見るべきものは僅に鉄道と電信のみなれば 各道内地の諸方面に此の交通機関の全備を求めんことを会社事業として期待するところは寧ろ無理の注文ならん 斯かる大事業は日韓両政府共同の施設経営に属し 会社亦間接に之れが補助たるに過ぎざらん
第三 韓国の出資額たる土地の授受は果して八道に亘るものか 又は一定せる特所に限るべきか 是等は実際問題として会社成立後当局者の研究すべき所なり

 其他会社を京城に置くと共に第一に金融の準備より株券の交付等
順序方法に就いては自ら緩急宜しきに従はざるべからず 何れにするも 会社の今日は所謂 図案既に成るも家屋の未だ建設せられざる時代にて 是より図案に従ひ如何に其家庭を建設すべきかは当局者苦心の存する所ならん 何れにするも 来春五月第一回の総会迄には世に発表すべき事業着手の順序も確定するに至らんか云々