2007年月日
海南新聞
明治41年10月31日
老馬新聞

1908(明治41)年10月31日
●日韓貿易改善
日韓両国の貨物運送状態を改善すべく 鉄道庁にては 一方大阪下関間を始め京釜京義の両線を通じ 毎日一回直通貨物列車差立の準備を為しつ丶あるのみならず 又た運賃の大割引を断行したるが 大蔵省にても 彼の梅田駅税関出張所を××十一月より実施の筈にて 尚ほ韓国貿易組合にても去る二十一日より新に梅田荷扱所を設け検査院を派し頻りに海陸両輸送の改善に努力しつ丶あり 而して往時海上輸送の場合には 資金の回収に大抵一ヶ月以上を要したつも 今後直通列車の開通を見れに至らば 京城にて四日 平壌五日目に貨物到達し 従て資金回収は十二三日と短縮され 加之 海運業者に於ても営業の対抗上 協定運賃を引下ぐるに決定したれば 貿易業者の利便は更に一層其度を加ふるべし 尚ほ目下汽車便による輸出貨物は 一ヶ月約一万箇 運賃約一万円にて 其累月増加歩合は毎三ヶ月内外に二割弱を示し 会場運輸は船腹饒多の為競争行はれつ丶あるも 韓国内地の平定産業の移植等により朝鮮海峡横断貨物は益々其数量を増加しつ丶あれば ×て日韓貿易上に一新生面を開くに至るべしとぞ

1908(明治41)年10月31日
韓京通信((その三))

京城にて 清家栄三郎 

▲由来韓人は非常なる見栄坊にて、外見をのみ気にする人種に候。随つて此の気風は人事百般の上に現れ居り、路次裏の掘立小屋にも「蕩春×閣」とか「瓊南竺房」とか云ふ如き、誇張的な大きな名前を附けて得々たるも有之候。
▲而して 大工若くは木挽の如き 日雇稼ぎも、大抵は口髭を生して 朝夕の往返には衣冠束帯 長烟管を咥へて悠然と通行至り居り候。
されば打ち見たるところ何処の大官にやと思ふほどにて、到底、之が大工さんだとは思はれず候。殊に婦人に至りては論外にて 如何なる下賎の者と雖も 其の外出致し候時は、青色の裲襠
(うちかけ)を丈長に頭より冠り、しづしづと練り歩き候。
▲先づ女の姿は五条の橋の牛若丸をお思い下され候はば太した相違無之、男は前述の通り衣冠束帯の姿に付之れ将た百敷の大宮人を偲ばしめ候。此の時代を間違へたる大宮人と女性の牛若丸とは、電燈がが点いて、電車が走る京城の町をウロウロと王朝式に歩き居候。
▲斯くの如き有様に付 大道に露店を開き顧客を求むるが如きは最も恥づべき事と思ひ居候。その現在やつてる者は食ふにこまるからやつてる訳にて、露店でもなんでもい丶、職業に貴賎なし、儲けるだけ大いに儲けて自己の運命は字の手に開かう、といつたやうな、キビキビしたハヅミの有る先生は一人も無之候。
▲僅かに一日は二日を支ふるに足る金子を得候は丶゛、有る間は例の通りの姿にて為すこともなくウロツキまわる次第に候。かくて財尽くれば又翌日よりイヤイヤながらに客を呼ぶ始末、所詮、何時にならばウダツの上がる事やら、推測の及ばざるもの彼等の生活に御座候。
▲然も先生等自身は至極ノンキな者にて、青い顔してアラランの歌でも唄ひ居候。而して歌謡し遊行するは他面に生活に困らざるを証拠立つる材料にて、自然近隣に重んぜらるんが為には、なるべく行楽するを要し候事情にて、彼らは嚢中の空しきに弱りながらも遊んでまわる輩に候。
▲之れ吾人より見れば解し難き事に候らへ共、実を捨て丶名を執り、内に充実するよりも外、就職を専らにする韓人としては、別に不思議な事も有之間敷候。思ふに韓人を指導すべき地位にある者は、何を措きてもこの見栄坊をやめさすこと緊要なるべく候。

1908(明治41)年10月31日
●遠洋漁業奨励費
本年度遠洋漁業奨励金は十三万余円なるも近時遠洋漁業熱勃興に結果当然奨励すべき船舶非常に増産したれば 明年度予算においては法令の許す限度即ち百五十万円を要求すべしと

1908(明治41)年10月31日
●臘虎
(らっこ)及膃肭獣(おっとせい)漁獲高
温泉郡興居島大字泊 宮内兵吉氏は多年日本海及ベーリング海に於て臘虎、膃肭獣の捕獲の従事し年々多額の収入を得来りしが 本年は前年に比し臘虎の価格低かりし為 主として膃肭獣二百六十二頭(総額一万一千四円、一頭に付四十二円)臘虎十四頭(総額九千一百円、一頭に付六百五十円)にて昨年に比すれば増加額二千二百廿円なりと云ふ