1908(明治41)年9月20日
●統監府の行賞


 国分統監府書記官以下五名は 曩に日韓協約締結の際に於ける功労に依り十七日左の如く叙位受勲の御沙汰ありたり

            統監府書記官従六位勲四等 国分象太郎
叙勲三等旭日中授章

            統監府秘書官従五位勲六等 古谷久綱
            統監府通訳官従七位勲七等 藤波義貫
授青色桐葉章
(以下二名略)

※第一次日韓協約(1905年8月22日)
韓国財政と外交を監督する日本政府派遣の顧問を韓国政府に置く。顧問政治始まる。
※第二次日韓協約(1905年11月24日_日韓保護条約、乙巳
いっし保護条約)
韓国の外交権を完全に日本政府が掌握。統監府を設置し韓国内政を日本政府が支配。伊藤統監は国王以上の権力を持つ。韓国は殆んど日本の植民地同然となる。
※第三次日韓協約(1907年7月24日)
韓国政府は全く有名無実となり、統監府が施政の全般を指導。


1908(明治41)年9月22日

●伊藤統監参内 

 伊藤統監は十九日午前九時十分参内 御座所に於て天皇陛下に拝謁仰付けられ長時間伏奏 御下問に奉答する処あり 夫より御内儀に皇后陛下の御機嫌を奉伺し同銃一時半退出せり


1908(明治41)年9月22日
●韓人の拓殖払込
 
東洋拓殖会社一千万円の資本は 日本に於て三分の二 韓国に於て三分の一を払込むげき趣なるが 第一回四分の一の払込に於て 韓国側は如何にして約八十万円の払込を了すべきや 来朝せる韓国委員は 韓国にては到底此の払込を為す能はざれば 土地を以つて払込に充つる考なりといひ 荒井度支部次官はこの件に関して急遽帰朝の途に上れりと云ふ 然るに土地を以つて株式の払込に当つるは法律上如何のものにや 又一旦之を許さば 日本人の韓国に於て持ちあぐみ居れる土地を之に当つる者を生じて 其甄別を如何にすべきやとの質問あり、右に関しては何れ創立委員会に於て決定せらるべきが 土地を評価して之を払込みに当つるは 法律上差し支えなしとは梅博士などの解釈なるも 実際韓国の土地は所有権正確ならず 評価の正確を期するとも困難なり 且つ多数の土地を引受けて資本を固定さするとは会社に取て一考すべき事なるべければ 尚研究の上決定せらるべし


1908(明治41)年9月25日

●外相の統監訪問 

 小村外相は廿日午後三時伊藤統監を大森に訪問し重要なる外交上の要談を為し同六時頃帰京せり


1908(明治41)年9月25日

●拓殖会社の成立期 

 拓殖会社設立委員の第一回総会は廿一日蔵相官邸にて開会せしが 遅くも一週日内外に於て 其結了を見 来月怱々より株式の一般募集を開始すべく 会社当事者の予期するところに依れば 財界不況の今日なるも 他の会社又日韓両帝室とも持株あるべければ 十月中には満株に達し 直に設立認可の申請を為すに至るべく 之と相前後して総裁以下幹部役員の選任を了し 右認可の指令を得たる上 会社の成立して総裁に引き継がる丶は十一月中旬なるべしといふ


1908(明治41)年9月25日

●拓殖農民移殖 

 拓殖会社設立は十一月中旬の予定にて 創立委員長より総裁に引継がれたる上は直に本社を京城に置き 東京には支社を設置すべき筈 本邦農民の移植は 最重要事件なるを以て 成るべく本年中に其の準備を完成し 明年早々 移送を始め 是非とも春季よりの各種耕耘に着手せしめん手筈なりと


1908(明治41)年9月25日

●遠海出漁組合設置認可 

 温泉郡睦野村大字野忽那石×嘉吉外四氏の発起に係る睦野遠海漁業組合設置の件は今回其筋の認可ありたり


1908(明治41)年9月25日

●韓海移住漁 

 本年四月以後本県より朝鮮海へ移住漁業を為したるものは四十三戸此人員約百廿名にして尚(続)々補助金の下付を願出るものありと


1908(明治41)年9月27日

●伊藤公の演説 廿五日午後

 昨夜首相邸の拓殖会社委員招待会に於て 伊藤公は演説して曰く 会社の目的は韓国富源を開発し 其財政の基礎を固め 独立するにあり 内閣は更迭するも対韓政策不動なりと


1908(明治41)年9月29日

伊予郡の現況はどうか
郡の将来はどうすればよいか
(伊予郡長倉根是翼氏談)

▲一般農事(略)
▲山林(略)
▲水産 十五海里の海岸線より漁獲する処 目下十一万円内外で 一海里の平均が七千三百三十円余に当りますが 之を全国の平均額一海里八千九十円余に比すれば全線に於て尚一万円は不足するのであります 元来本郡の漁具は上灘地方を除きては 割合に小規模のもの多きのみならず 旧来の漁具漁法に安んじ 改良を企つるもの少なしとは 有力なる当業者の歎息する所であるのみならず 平均額以下に甘んずるは遺憾千万であります 仍て我家の棟の見ゆる
(見えぬ、か?)所 可愛ひ女房の声の達せざる場所には出漁せぬなどの 因循なる旧思想を打破し 大いに遠海出漁を奨励し 水産業者をして 海なる無尽蔵の宝庫を開き 任意に宝を獲得して 之を 大にしては国家小にしては一身一家を大いに富まさせ度希望で目下研究中であります
▲工業(略)



2007年4月3日
海南新聞
明治41年
9月20日~9月29日

老馬新聞