2007年4月13日 |
海南新聞 明治41年11月1日 |
1908年11月1日
●秘露(ペルー)より移民申込
森岡移民会社は三十一日 一千名の移民を秘露に向け渡航せしめたる筈なるが 今回秘露大統領より更に一千名の申込ありたる由にて所有船厳島丸の帰航次第引返し渡航せしむべき予定なりと云ふ。
1908年11月6日
●韓京通信((其四))
清家瑩太郎
○韓人が虚飾を之れ事とするは前信に於て説き尽し候。更に試みに在韓有識者に就きて韓人の性情を相尋ね候は丶゛、殆ど異口同音に、韓人の譎詐、諂諛、懶惰、不潔を数え、且つ其の最も弁口に富める人種なりと答へ可申候。
○吾人は事実果して然るや否やを知らず候。されど開国三千年の韓国史を繙き、彼等韓人の祖先が我が文禄の役及清太祖の侵略に苦しみ、更に燕山光海の簒奪、南人北人の争ひに悩み、加ふるに貪婪飽くことを知らざる暴臣汚吏の苛斂誅求に依り、常に塗炭の苦を嘗めたる実情を知り候と同時に彼の諂諛、譎詐などの諸悪徳の自然に人に侵×したること。拒むべからざる理×と存じ候。
○然らば現今の韓人も亦果して斯くの如きか、これ頗る困難なる問題に候。然どれも階級の上下を問はず、生物は其生存の為に周囲の事物に適応するの機能と、其性質の遺伝的傾向を有するものに候。
○ヴェランダール化石以後、人間化石の×に其骨を発見されたるものは犬に候。されば犬が人間より食と住とを与へられ、野獣生活を脱却してより既に二万有余年。然も尚ほ其臥するに方つて二三回右に左に身体の位置を換ふるは、嘗て野獣時代荊棘の間に横はらんとする時、斯くして一定の空地を作りし祖先の遺伝に候。
○遺伝は斯くの如く耐久的に力あるものに候。されば韓人の祖先が当時の国情に順応せんが為に、上司に諂諛し朋党を欺瞞して僅かに一身の安逸を図りたる結果、懶惰も流れ 延いて不潔を忌むのこころ 次第に銷磨去りたるを認むる以上、此の性情は祖先より遺伝して彼等現代韓人の血管に脈々たるものあるを否認すべからず候。
○吾人は此も見地より、韓人の性情について彼の在韓有識者の毒語を斥くるの勇気無之候。而して之を李氏の社稷の為に悲しみ且つ哭する者に有之候((十月二十八日))