2007年4月7日
海南新聞
明治41年9月29日~日
老馬新聞

1908(明治41)年9月29日
●遠海出漁 
新居郡大島村遠海出漁組合にては 今回韓海へ出漁するもの八名出来に付 補助金下付を願出たりと 

1908(明治41)年10月1日
●従軍記章授与 
明治三十七八年従軍記章条例により 陸軍大臣の要請を経て 各宮妃殿下 内閣 及び法制局、賞勲局、宮内、外務、逓信、内務、大蔵の各省 並びに統監府員 合計四百三十五名に 明治三十九年三月三十日勅諚の従軍記章を授与せられたり

1908(明治41)年10月3日
●本県出漁根拠地 
本県遠海出漁団体聯合会にては 香川、山口、佐賀、長崎、宮崎、千葉、福岡諸県の如く 韓海出漁者の為の根拠地を買収して事務所を設け 移住漁者に対し 家屋、地所を始め生活用物資の供給其他万般の事を取扱ふこととなり 目下取調中なるが 其根拠地は多分巨済島の愛媛村付近となるべしといふ

1908(明治41)年10月3日
●遠海漁業補助出願 
温泉郡北条町大字安居島漁業組合にては今般韓海付近沿海出漁をなすに付 二日其筋に補助出願せり

1908(明治41)年10月4日
●拓殖株両面観
東洋拓殖会社は近々株式の募集をなす筈なるが 該株式の前途に就き悲観楽観両様の説をなすものあり 其の大要左の如し

▲悲観論者 は曰く 同会社は一ヶ年に30万円の補給金あるも 其の成功は十数年の後にあり 且政府が八十余名の創立委員を挙げしも 其真意は畢竟株式の義務引受を強ゆるにありて 委員中有難迷惑を感ずる者もあるべし 財政の景況は未だ快復せざれば 払込みの日とならば多大御割引値段を示すに至るべく 満鉄の株式募集の当時を夢想せば大いなる錯誤を来すならん
 兎に角同社の前途は遂に解散の悲運に遭遇するに至らんか
▲楽観論者 は曰く 仝社最初の払込金二百五十万円に対する利子年五分として十二万五千円 之に政府の補助金を加ふれば都合四十二万五千円なり 即ち払込金を預金して死蔵するも 尚ほ内二十五万円を株主に配当し 残り十七万円五千円の内七八万円を総裁以下社員の給料となし得べし されば今後六七年内は 無為政策を採り 其間に徐々事業着手すること丶せば 株主は安全に配当を得らるれば 株式の募集は無論成功すべし

1908(明治41)年10月6日
●拓殖の起業期
東洋拓殖会社は明年一月より起業に着手するが如く噂し 気逸の輩は 遠からず移住民をも募集するが如くに伝ふれど 同社は株式の募集及び払込み 重役の任命等其他の準備に本年一杯は忙殺さるべく 尚会社業務の眼目たる土地の開墾、植林、牧畜、水産業に関する土地の調査及び山川交通の便否等の研究を要すべき事項夥しきに付 早くも明年六月頃ならでは起業の運びに至らざるべしといふ

1908(明治41)年10月月11日
●統監帰任延期
伊藤統監は本月中旬出発帰任の予定の処 米艦隊来航に就き 其歓迎の為特に下旬に延期せりと

1908(明治41)年10月11日
●鎮南浦築港
鎮南浦は明年度より百万円の予算にて築港の予定なりと